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2006年1月 7日 (土)

雪の怖さ

今朝は久しぶりに雪の降らない朝だった。道路が乾いていて、車で走るのが本当に楽で嬉しかった。
それにしても、本当に今年は雪が多い。雪が多いことで有名な会津に住む友人たちでさえ「今年の雪はすごい!」と口を揃えて言っている。新潟の豪雪は、今年何度もニュースになっているけれど、会津は地域的に新潟と近いので、それに準ずる降雪があったのだ。
あそこまで降らなくても、このあたりに降った程度の雪が都心に降ったら、たちまちあらゆるものがマヒしてしまうだろうし、その影響で日本中が大混乱するんだろうな、とも思う。

都心で雪が降って交通機関が混乱すると、「北の人たちから見れば、これくらいの雪で、って思うでしょうね~」というセリフがよく聞かれる。たしかに、初めて雪が積もったときを除けば、5センチやそこらの雪でこちらの交通機関がマヒするようなことは、まず考えられない。
「雪に慣れているから」ということばもよく聞かれる。ただ、これは、雪国に住む人間と、そうでない人間の間には、微妙に認識のずれがあるような気がしている。
雪のない地方の人たちは「雪に慣れているから、雪なんて全然平気でしょう?」というニュアンスで言っているのだけれど、我々の認識はちょっと違う。雪は確かに昔から慣れ親しんでいる。だけど、やっぱり「雪は怖い」のだ。
路面に雪が積もれば、運転は慎重に慎重を重ねないと、たちまち事故が起きる。いや、気をつけていても、やっぱり事故は起こる。(昨年末の私のように) 雪かきを怠けると、夜の間に通路が凍りついて、それから数日、ひどいときには1週間以上も足下の危険な思いをするようになる。凍った道で転倒して大怪我をする、というのも、冗談抜きで起こる。会津や新潟のような豪雪地帯では、屋根の上の大量の雪を放置しておくと、家がつぶれてしまう。
雪に慣れている、ということは、雪が平気になる、ということではない。雪とのつきあい方を知っている、ということなのだ。雪を甘く見ちゃいけない、というのは、雪国の人間だからこそわかっていることなのかもしれない。

そんなことをこの冬考えていたら、先日買ったアウトドアの本に、こんな文章が載っていた。「マタギ」と呼ばれる、山で猟をする人たちのことに触れた内容なのだが。

「マタギにとって山や森は、暮らしの糧が得られる豊かな恵みの血である。と同時に、一歩間違えれば、命を落としてしまう恐ろしい場所でもある。だからマタギたちは、山入りするときには勝手な行動を慎み、自ら事故を起こさないように細心の注意を払ってきた。」(「アウトドアこだわり図鑑」 甲斐崎圭・監修/家の光協会)

雪国の人間の雪とのつきあい方と、まったく同じだなぁ、と感じた。
山を自由に渡り歩き、熊や獣を狩っているマタギたちも、やっぱり山は「怖いもの」なのだ。甘く見ればたちまち命を落としかねない、畏怖の対象なのだ。
それは、「自然」そのものへの畏怖なんだろう。
どんなに文化や技術が進み、情報が高度に発達したとしても、人間は自然にはかなわない。自然に対しては、人間はやっぱり、いつも謙虚であるべきなんだろうと思う。

また雪がちらつき始めた。今夜から明日あさってにかけて、また大雪になるという予報も出ている。
雪を恐れすぎても生活はできないけれど、雪を見極め、備えながら付き合っていくことは、大事なこと。
雪だけに限らないけれど。
さて、洗濯物を取り込んで、ファンヒーターに灯油を足して、雪と寒さに備えることにしようかな。

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