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2005年12月31日 (土)

さて、大晦日

毎年、我が家ではこの日に忘年会をしている。
我が家と言っても、私たち夫婦と子どもたちだけで、じーちゃん、ばーちゃんは夜中の12時を待たずに早々と寝てしまうのだけれど。しかも、最近はお兄ちゃんは郡山のわたしの実家で年を越すので、ここ3年ほどは私と旦那と昇平の3人だけの忘年会になっている。
忘年会のご馳走は決まってスペアリブのバーベキュー。前の日からつけ込みをしておいて、夕食にそばを作る時に、一緒に焼いてしまう。アルコールやジュース、おつまみやおやつを取りそろえて、紅白を観るともなく流しながら、飲んで食べてしゃべって、トランプなどしたりもする。
いつもなら、「夜はもう食べない!」「お風呂から上がったらすぐに寝なさい!」と言われているのに、この日ばかりはいつまで起きていても良いものだから、昇平はずいぶん前からウキウキとこの晩を待っていた。お兄ちゃんも小学生の時分は、この日を心待ちにしていたっけ。今はもう、夜中まででも平気で起きているから、今、一緒に忘年会をしても、それほどありがたみがないだろうけどね。
今の間だけの、特別イベント。でも、たぶん一生記憶に残るんだろうな。だって、私自身が田舎で同じように大晦日を過ごして、やっぱりものすごく楽しかった記憶が残っているから。そして、大晦日というと、きっと子どもたちは、年越しそばじゃなくスペアリブのバーベキューを思い出してしまうんだろうな。(笑)

ところで、今年、旦那はまだ仕事から帰ってきていない。
昇平、忘年会がしたくてじりじりしているけれど、それでも騒いだりしないで待っている。雑誌を見たり、パソコンをしたり、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、なんとなく落ち着かないでいるけれど。
そろそろ帰ってこられるといいんだけどな~。さてさて。

それにしても、本当にいろいろなことのあった一年だった。
いいことも悪いことも入り混じっていたけれど、1年が終わる今になって、全体的に「いいこと」で落ち着いたような気がする。終わりよければすべて良し、かな。
新しい一年がまた始まる。来年は・・・・・・・・・うん。がんばろう。
ただ、それだけだわ。(笑)

来年もまた、ブログで、そしてホームページで、よろしくお願いいたします。

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2005年12月27日 (火)

「アズカバンの囚人」を観た

4作目の「炎のゴブレット」が上映されているこの時期に、今さらの話題で申し訳ないんですが、「ハリー・ポッター」の3作目「アズカバンの囚人」をやっと観ました。クリスマスプレゼントに買ってもらったDVDで。

原作を読んでいるお兄ちゃんに言わせると、「エピソードや描写をはしょりすぎ! あれを2~3倍の長さにすれば最高に面白いけどさぁ」ということらしいけれど、原作をまったく読んでいない私としては、純粋に映画として面白かったです。映画というひとまとまりの作品にした時の、構成のうまさ、伏線の作り方にも「ほほー!」と感心してしまったし。特に、中盤までしょっちゅうでてくる時計台の場面が、ああいう意味合いを持っていたとは・・・。思わずうなりました。
ただ、一カ所、観ていて思わず頭を抱えた場面が。暴れ柳に子どもたちが襲われる場面・・・・・・うう、『フルート・2』のとあるシーンにそっくりかも・・・。誓って言います。私、この映画を今日初めて見ました。原作もまだ読んでません。(読んだのは1作目の『賢者の石」だけ)
ありきたりの場面、ありきたりの設定だから、と言われればそれまでですが。でも、う~ん・・・ちょっとまいりました。(苦笑)

それにしても、実写で、あれだけの世界の広がりをもって物語を描けるっていうのは、いいなぁ、と思います。
「ハリー・ポッター」は原作もすばらしいけど(と1作目しか読んでいないくせに断言する人)、これだけの映画が作られたから、なおさら世界的に人気になったんだろうなぁ、と思います。
ちなみに、うちのお兄ちゃんの学校に、先日「ハリ・ポタ」の双子がやってきました。お兄ちゃんたち、大興奮したそうです。今日も、DVD観ながら、「この人たちが本当に来たんだぜ~」と自慢していました。
母も、正直、すごくうらやましいです。

さ、年末だというのに、つい2時間半もDVDを観てしまったわ。
急いでまた窓拭きに戻らなくては。(笑)

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2005年12月26日 (月)

ふ~

やっと2階の居間の片づけが終わった。
大掃除どころか、普通の掃除でさえない。とにかく「片づけ」が終わったのだ。
休みにはいると、とたんに足の踏み場もなくなる我が家の2階。そこへもって、昇平が冬休み突入と同時に具合悪くなったものだから、休日開けの今朝は、本当に「どこに立っていましょうか?」というくらいの状態になっていた。
ゴミと言っても、実態は昇平が描き散らかしたお絵かきの紙、工作、紙粘土。どれを捨てて良くて、どれを捨てちゃいけないのか、判断がつかない。男性陣が休日に食べ散らかしたお菓子の空き袋などもそこここに。洗濯物が畳まれないまま山になっているのは、昨日はたたんでいる場所がどこにもなかったから・・・ということにしておこう。(苦笑)
選り分けて、捨てて、まとめて、テーブルと床の面を見えるようにして・・・。
ああもう、これだけで疲れ果ててしまった。掃除機までかければ完璧なのだけれど、その元気が出ない~。

人間って、どうして生活しているだけで、こんなに家の中が散らかってくるんだろう。本当に必要なものって、ごく限られているような気がするんだけど。
うちは、昇平がいるから特に散らかるんだろうと思うけれど、それにしても、こんなにモノっていらないよなぁ、とつくづく思ってしまう。本当に必要なモノだけ残して、ぜーんぶ処分できたら、さぞすっきりするだろうに。
将来、ぜひやりたいこと。小型トラック(2トンくらいの)を1台借りてきて、家の中のいらないモノを片っ端から箱に詰めてトラックに積み込んで、ゴミ焼却場に直行させること。未練もなく、すっぱり片づけて、あとは本当に必要なモノだけと暮らしていきたい。でも、それには昇平がもう少し大きくなるまで待たなくちゃいけないんだよなぁ。今は、壊れたおもちゃでさえ、「まだリサイクルして遊べる!」と言っているから。そのくせ、実際には放置している場合がほとんど。心がけは感心だけど、実行が伴わないんだよね。
ADHDのある人間の場合、部屋や机の上はすぐにごちゃごちゃと散らかってしまうけれど、実際には、モノが限定されていて、すっきり見やすい空間のほうが過ごしやすかったりする。見て混乱せずにすむから。昇平も、実際にはそういう場所のほうが好きなのだ。だから、いつかはやるぞ~! 大々的なモノ減らし!!

はぁ、やれやれ。
我が家の2階は、来年もすっきり美しい部屋で新年を迎える、というわけにはいきそうにないなぁ。

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2005年12月21日 (水)

「郡山の王様HP」終了に伴う変化

アサクラ・タウンのトップページを、ずずずぃと下へ進むと、一番下にリンクのバナーが並んでいますが、その筆頭にあるのが「郡山の王様HOMEPAGE」です。

古い常連さんはよくご存じですが、ここが私のそもそものネットライフスタートになったサイトでした。当時私は郡山に住んでいたのですが、このサイトに推理小説「探偵アップル事件簿・ウンディーネ」を掲載してもらったのがきっかけで、掲示板の常連になり、レシピの連載を始め、短編小説を発表させてもらい、やがて、自分のホームページを立ち上げるまでになりました。言ってみれば、私の母校のようなサイトです。
今でも、「昇平てくてく日記」と「キッチン星空ほっとレシピ」は、このサイトの不定期連載というコーナーに発表させてもらっています。リンクをたどって、このサイトをのぞいてみた方も多いと思います。

けれども、大変残念なことに、「郡山の王様HOMEPAGE」は、この12月31日をもって閉鎖されることになりました。管理人さんの多忙、時代の流れ・・・理由は様々あるようですが、いたしかたない結論なのだろうと思います。個人的には、母校がなくなるような寂しさでいっぱいなのですが、それもしかたがないですね。

そこで、現実的なこととして、「てくてく日記」と「ほっとレシピ」をどうするか、という問題が生じてきます。
結論から先に言いますと、「てくてく日記」は掲載場所を移して、このまま続投ということになります。具体的には、この「そっと、ひとりごと」と同じ@niftyのブログへ移すつもりでいます。「てくてく日記」をブログ化すると言えるわけですが、実は、不定期連載というのはブログに非常に似た形式のシステムだったので、私としてはブログになってもまったく違和感がなかったりします。
ただ、実際には、表示形式とか、今までとまったく同じというわけにはいかないでしょうから、そのあたり、ご覧になる皆様は違和感を感じてしまうかもしれません。できるだけ今までと同じような色やデザインになるよう、努力するつもりですが。

「ほっとレシピ」のほうですが、こちらはまだ微妙です。ライターが私以外にも2人いますので、続投するかどうかは、皆で協議の上で、ということになります。そして、ライターのひとりである、おとーとは、現在インフルエンザでダウン中です。今年中には結論が出ないかもしれません。(苦笑)

「郡山の王様HOMEPAGE」は今年いっぱいで閉鎖されますが、不定期連載システムは1月31日まで動き続けます。「てくてく日記」はブックマークやアサクラ・タウンのリンクをたどれば、今まで通り、読み続けることができます。日記はこれからも更新を続けて、1月中には@niftyのブログへの引っ越しをする予定です。
「ほっとレシピ」に関しては、皆様のご意見も聞かせていただいたほうが良いかもしれませんね。ご希望通りの結論にはならないかもしれませんが・・・。

本当に、おんぶに抱っこで今まで思う存分書かせてもらってきた「郡山の王様HOMEPAGE」でした。
これまでお世話になってきた数々に心から感謝を述べながら、アサクラ・タウンは、また新しい歴史を刻んでいこうと思います。
ブログへの移転等、具体的に日程や内容が決まりましたら、また掲示板やここでお知らせいたします。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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2005年12月15日 (木)

「相手」の尊重

京都府宇治市の学習塾で起こった痛ましい事件の報道を読みながら、聞きながら、つくづく考えていることがある。
「子どもは、決してこちらの思い通りになる存在じゃない」
その事実を、彼に教えてくれる人は誰もいなかったんだろうか? と。


最近、日本各地で起きている凶悪な事件の数々。今までの犯罪通念からは、ちょっと想像もつかなかったようなことが頻発している。
金や生活に困って、自分自身の不幸な境遇の意趣返しに、男女の愛憎のもつれから・・・そういう事件ならば、昔から起こっていたし、事件を詳しく眺めていけば、状況も犯人の心理状態も理解できることが多かった。殺人事件だって、犯人の人生を追ってみると、徐々に犯行がエスカレートした結果だったことがわかったりする。(私は推理小説を書いていた時期に、こういう事件記録を読みあさったので。)
だけど、今、日本で騒がれている事件の数々は、これとはパターンが違う。前兆が非常に弱い。何でもない、真面目で普通に見える人たちが、ある日突然、激烈な犯行に及ぶ。本人の中では少しずつフラストレーションと殺意が高まっているのだけれど、それが周囲には見えない。・・・事件を防げない。

けれども、それらの事件を聞いていて、とても強く感じる共通点がある。殺人だったり、誘拐だったり、犯人も大人だったり少年少女だったりするけれど、それらを超えて、はっきり見えるのが、これ。
「他人の気持ちが思いやれない」
もっと極言すれば、
「相手が自分とは違う想いを持つ、別の人格だと言うことを認められていない」
ということ。
人間として、人と人とのつきあいを学んでいく第一歩目のところで、みんなつまづいている。

熱心に指導をする。指導技術の工夫もする。大多数の子どもたちはそれについてくる。でも、10人の子どもの中に1人か2人くらいは、そのやり方では合わない子が出てくるかもしれない。それは当然のこと。だって、人はひとりずつ中身が違っているんだから。どんなに上手な指導でも、誰にでも合う完璧な指導なんてものは存在しない。○○式といわれるような教育システムだって同じ。子どもによって合う合わない、は必ずある。それは、当たり前のことで、その人の指導力を全否定するものではない。
宇治市の事件に関して言うならば、そういうこと。
最近の事件には「オール・オア・ナッシング」の傾向が強すぎる。

殺人という極端な事件に例を取らなくても、これと同じような事は、私たちの周囲で日常的に起こっていると思う。
もしかしたら、これを読んでくれている人が、今朝、まさしく目撃したり、体験したりしたかもしれない。
「私」以外の人物は、たとえそれが子どもであっても、それぞれに違った人格だから、違ったことを感じ、違ったことを考え、違った価値観を持っている。置かれている環境も違ったりする。それなのに、相手も自分と同じように行動し、考えるものだと一方的に決めつけて、「何でこんなこともできないんだ!?」「どうしてこちらの気持ちがわからないの!?」と怒った人はいなかっただろうか?
その時に、怒った人は、相手が「別のことを思っているかも」と考えていただろうか? 「相手にはこれは実行が難しいことなんじゃないだろうか?」と考えてみただろうか?
そういう、ワンクッションになる考えを、「おもいやり」とか言うのだけれど。


私の二男には発達障害がある。認知に偏りがあるために、見ただけ、聞いただけではなかなか理解できないことが多くて、特に丁寧に話しかけたり、教え方に工夫をしたりする必要がある。それでも、なかなか社会性は発達しなくて、小学4年生の現在、ようやく1年生レベル程度の友だち関係は作れるようになってきたかな・・・? という段階。
相手の気持ちや立場がまだまだ「思いやれて」いないのは、見ていてはっきりわかるから、そのたびに繰り返し教え続ける。
「今、○○くんはどういう気持ちだったと思う?」
「△△ちゃんは、こうしたいと思っていたからこんなことをしたんだよ。君はどうしたら良かったのかな?」
標準年齢よりは遅れているけれど、それでも彼は、相手が自分と違う人間だと言うことを学び、その違う相手と、どうやったら一緒に気持ちよく過ごせるかを、毎日学んでいる。

私は発達障害の親の会にも入っているけれど、そこに集まる親たちも、同じように我が子にいろいろなことを教えている。我が子に困難があるとわかっているからこそ、熱心に教え続ける。子どもは何度もつまづくし、親も何度もどん底まで落ち込むけれど、それでも、みんなあきらめないで我が子と向き合おうとし続ける。
そんな親たちの姿を見ていると、私は時々、無性に不思議な思いにかられる。
「この人たちの子どもこそが健やかに育っていくだろう、という予感がするのは、何故だろう?」
と。
様々な場面で見たり聞いたりする、他の子どもたち。「健常児」と呼ばれる、障害を持たない子どもたちが、大切な何かを教えられないままに、ほったらかしにされているのを感じるのだ。

モノも知識も十分に与えられているかもしれない。だけど、人間が人間として生きるために一番必要な「社会性」を、子どもたちはちゃんと育ててもらっているだろうか?
それは、人と会った時に挨拶をするとか、感謝の気持ちをお礼のことばで伝える、というスキルだけのことではない。
そもそもの根元になる、「相手は自分とは違った存在である」ということを納得し、「でも、その違った相手と気持ちよく一緒に過ごしていきたいから、どうしたらいいか?」ということを、試行錯誤しながら、体で身につけていくこと。
理屈じゃなく。
そういうものを育む場が、今の日本には、あまりにも少なくなっている。

原因は? 核家族化、少子化、コミューン(地域社会)の崩壊、学術偏重主義の教育、共働き、社会性の発達への理解と対応の立ち後れ、福祉の貧困・・・・・・。
いろいろあるんだろう。本当に、いろいろな原因が。
だけど、そんなものにいちいち怒っていたら、今育っている子どもたちには間に合わない。
そのあたりをなんとかしたいと思って改善に取り組むのも良いけれど、それよりもなによりも、今日から、子どもたちと向き合ってほしいと思う。今、自分の目の前にいる、このひとりの子どものために。

まずは、子どもの話をきちんと聞いてほしい。
子どもたちの想いを、大人の一方的な決めつけをしないで、ありのままに聞いてあげてほしい。
そのうえで、大人は子どもを「自分とは別個の人格として」尊重しながら、真っ正面から答えてあげてほしい。
それは子どもの要求を100%そのまま聞いてあげる、ということではない。できることもできないこともあるし、やっていいことも悪いこともある。それら1つ1つに対して、大人も「一つの人格として」答えていってあげてほしいのだ。

子どもは大人との関わりから、社会性の第一歩目を始める。いきなり子ども同士の関係には行けない。まず子どもと大人の関係で社会性の基礎を作ってから、徐々に子ども同士の関わりに移っていく。そして、それが大人になってから、社会の中で生きていくための基礎になる。
「自分」を大切にしてもらった経験がない子どもは、「相手」を大切にできる子どもや大人には育たない。
今、日本各地で起こっている数々の事件は、大人たちが子どもたちから「逃げ回ってきた」つけが回ってきたんだ、と私には思えてならない。

この類の事件は、これからますます増えてくるような予感がする。殺人、育児放棄、虐待、ストーキング、誘拐、異常愛好・・・。
今、ここで立ち止まらなかったら、この国はとんでもないことになる。そんな危機感を感じてならない。
そんな大きな怖いうねりから、自分や子どもたちを守るためにも、「まずは子どもの話に耳を傾けること」。子どもが身近にいない人なら、大人だっていい。相手の話を聞いて、その想いに耳を傾けてみてほしい。
人と人との関わりというのは、それが一番の基礎であり、それが一番大切なことなんだと思うから。

もう、こんな不幸な事件が二度と起こってこないように。
祈りを込めて。

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2005年12月12日 (月)

今月の絵

「今月の写真」にすると、またスパム・トラックバックされそうな気がするので、「今月の絵」というタイトルにしてみました。(笑)
季節らしく、シクラメンです。が、見てお分かりの通り、これは折り紙です。台紙はハガキサイズ。おばーちゃん(義母)の力作です。
うちのおばーちゃん、手先がとても器用で、何かを作るのが大好き。今は自宅療養中で外出もあまりできずにいますが、折り紙、編み物、パッチワーク・・・と、家の中でもちっとも退屈しないようです。先日は、オリジナルでパッチワークのバッグを完成させていました。どうしてあんな端切れの山から、あんな素敵なバッグができあがってくるんでしょう。不思議だわ。
一方の私は、手先が不器用なこともあって、手芸の類はいっさいダメ。もっぱら、おばーちゃんの作品を鑑賞して、「素敵ですね~!」と感嘆する役なのですが、「それがはりあいになるのよ」とおばーちゃんが笑います。「みんな作る人ばかりだったら、感心してくれる人がいなくなっちゃうでしょう」って。
世の中って、うまくできているのかもしれませんねぇ。(笑)

shikuramen

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2005年12月 9日 (金)

コーヒータイム

いつまでも事故の記事で停まっていると、心配する人がいるでしょうから、ちょっと書いてみます。(笑)
私自身は後遺症等も出ず、とても元気でいます。愛車は現在修理中。いくらかかるか、考えると恐ろしいけど、それはとりあえず棚に上げておいて。(笑) とにもかくにも、怪我もなく無事だったんだから良かったんだ、と思うことにしています。
ただ、運転中はやっぱり、ちょっと怖いですけどね。なんだか、またぶつかりそうな錯覚に陥ります。これが完全に消えるには、もうしばらくかかるんでしょうね。・・・いや、かえってこの感覚が残っていた方が、安全運転になっていいのかな?

今日はよい天気です。でも、朝晩は本当に寒くなりましたね。毎日のように霜が降りて、地面が凍りついています。昨日は、寝室の窓ガラスも凍っていました。冬だぁ・・・。
だけど、大掃除も年賀状も、まだ手つかずの私。プリンターも絶不調だし。うーん。困ったもんだ。
それでも、合間を見ては「フルート・1」の推敲作業を進めていました。今日あたり、見直しが終わって、いよいよ縦書きに変換できるだろうと思います。PDFファイル化するのは、来週前半かな? なんか、落ち込む暇もなく、バタバタと過ごしています。・・・ちょうどいいのかも。(笑)

さ、コーヒータイムは終わった。
もう一頑張り、いきますか~!!

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2005年12月 5日 (月)

事故った

事故りました・・・今朝方。

昨夜からの雪は朝になって止んで、道路はざぶざぶのシャーベット状態。7時前の電車に乗るために自転車で駅に行くお兄ちゃんを、今朝は車で送って、家に戻る途中、見通しの悪い変形交差点での出来事でした。まだ薄暗い中、向こうが優先道路なので、一時停止してカーブミラーで確認して出たものの、無灯火だった車に気がついてブレーキを踏んだ時にはすでに遅く、雪のせいもあって全然止まれず、出会い頭に衝突しました。まったく、よくあるパターンです。
双方、怪我はなく、車はバンパーや前の部分が壊れたものの自力走行は可能。急いで保険屋さんに電話して、処理のしかたを聞いて、警察に通報して現場検証してもらいました。今朝は事故が多かったとかで、警察が来るまでに30分くらい待ちましたが、それもなんとか終了。優しいお巡りさんで、「なんにしても、どちらも怪我がなくて良かったね」と慰めてもらっちゃいました・・・。
後は、車を修理に出して、双方の保険屋さんで賠償責任の検討をすることになるのだと思います。うちには午前中に保険屋さんがきてくれることになってます。

本当に、怪我がなかったのが不幸中の幸いだったし、お兄ちゃんも同乗していなかったので、私ひとりのことで良かったと言えば良かったのだけれど、昇平は結局、じーちゃん、ばーちゃんに学校まで送ってもらいました。
今、車屋さんがきて車を見ていったけれど、修理には10万はかかると。対物は入っているけど、車両保険には入ってなかったからなぁ。うう・・・痛い・・・。いやでもホント、これで怪我までしていたら、もうお金だけの問題にはならなくなるから、これくらいで済んで良かったというべきなんですけどね。

最近ぼけていると自分でも思っていたものの、ここまでとは思っていなかったなぁ。
ボーっとするあまりあの世まで行ってしまわないように、ここらで気をつけろ、ってことだったんでしょうかね。
あーあ、それにしても、ほんとにもう! がっくり。

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2005年12月 4日 (日)

なんでもない日々

「フルート・1」のPDFファイル化作業中。
とはいえ、この作品はやっぱり加筆修正する部分が多いので、その分、時間がかかっている。主人公の心理描写を少し丁寧に書き込んだほうが良いと思ったので。
その一方で、頭の中では「フルート・3」が次第次第にふくらんできている。いろいろな場面が思いついて、エピソードがあれこれ浮かんできて・・・。「フルート・2」以上に、元話とは違った物語になっていくかもしれない。 「1」と「2」の縦書き化-PDFファイル化が終了したら、いよいよ書き出そうとは思っているのだけれど、その前に年末の大掃除やら年賀状やらが来るからなぁ。ホントに、自分が2人いたらいいのに。(笑)
あ、ホームページのトップページも12月バージョンにしなくちゃいけないんだわ。

でも、そのまた一方で、なんでもないこの日々が、なんとなく嬉しかったりもする。
体力も少しずつ回復してきたのかな。(薬のせいで胃が荒れてしまったのはつらいけどね) 
ただ掃除するだけ、洗濯するだけ、洗濯物をたたむだけ・・・の日常も、なんとなく、しみじみと「幸せだなぁ」なんて感じていたりして。何故だろう。
今も、部屋の中に家族4人が集まっている。それぞれにパソコンをしたり、パズルをしたり、ゲームをしたり、・・・で勝手に過ごしているのだけれど、てんでバラバラなようでいて、いつのまにか一つ話題を話していたりする。私たち家族は、特に「家族みんなで仲良く○○をする」ということはあまりないのだけれど、でも、いつだってこんな感じにのんびりと休日を過ごしている。こういう過ごし方が、みんな、一番リラックスできるんだよね。
昼食は、お兄ちゃんがスパゲティ作りを手伝ってくれた。そういえば、お兄ちゃんも以前に比べると、家族と過ごす時間が増えてきたかな。

小説というのは、架空の世界。なにもないところに、世界を作っていく作業。
だけど、その基礎、その基本は、やっぱりこの平々凡々な現実の中にあるんだよなぁ、なんて、改めて感じてしまう。
ドラマチックなことなんか何もないけれど、だからこそ、愛おしい日々なのかもしれない。
今日のこの日を大切にしながら・・・がんばって年末を乗り切って、また新しい年を迎えよう。
家族みんなで、ね。

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2005年12月 3日 (土)

私ってヤツは

はー、切ない。

って、いやいや、別に色恋ごとではないですよ。(笑)
別に何か心につらいことがあったわけでもないです。
単純に、「やりたいことがいっぱいあるのに、それが思うようにできない現状が切ない」ってだけのことです。(爆)

体調の方はまあまあ回復傾向にあるとは思うのだけど、やっぱりまだ本調子ではない。
やりたいこと、やらなくちゃならないことは山積みなのに、それに手が出ない。出せない。それが、切ない。
気持ちばかりが空回りして、体がついてきていないんだよね。あ~ん、もう! 我ながらじれったい~!!

これって、自分がすることがみつけられないときによく起きる。実際に何かをやっている時には、まず感じない。こんな状態になるたびに、自分はホントにADHDの傾向があるんだなー、とつくづく思う。「アクティブ」な状態が私のノーマルモードなんだよね。傍目にはそんなふうには見えなくても。(いや、ネットの中ではちゃんとそれが見えているかな? 実際の私は、おっとり系に見えるんです)
この状態が長く続くと、今度はエネルギーが暴走を始めて、調子を崩したり、鬱になることさえある。まあ、今回はそんなふうになる前に体調が戻ると思うけれど。ホントに、私ってヤツは・・・。(苦笑)
一番の解決方法が何かは、わかっているんだー。だけどね、今月は12月。いくら手抜きでも、いろいろと片づけなくちゃならないことが山積みなわけで。
はー。お願いです。私に私のコピーをください。2人の自分で、やりたいこと、やらなくちゃならないことを分担すれば、きっと、もっと楽になるだろうから。 
あぁ、ド○えもんが欲しい!

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2005年12月 2日 (金)

ちょっぴり不調

気分的にはかなりアップして、気力もまた充実し始めたのだけれど、2.3日前から左上の歯茎が痛んで、なんともうっとうしい。
歯肉炎かな歯槽膿漏かな、と思っていたのだけれど、元プロの知人の話を聞いたら、どうやら鼻炎から急性副鼻腔炎を起こしている可能性があるらしい。あ~・・・すごく思い当たる。むせたのよね、食事中に。で、汚い話だけど、食べ物が鼻に回ってしまったのよね。その後、鼻の奥がものすごく痛くて、今もちょっと感じが変だけれど、その直後から、歯茎が痛み出したのだもの。元々、私は副鼻腔が弱いタチだし。(中学2年の時には蓄膿症の手術も受けている)
知人の話では、この場所は抗生剤なども効きにくいらしい。なので、安静と栄養を、と思って、昨日から総合ビタミン剤なども飲んでいるのだけれど。朝のうちは良いのだけれど、昼近くになってきたら、またな~んとなくズキズキとうっとうしくなってきた。あ~、やだやだ。元気になってきたのに、身体がそれについてこないって言うのも、なんとも口惜しい。

しかし、最近、飲み食いしていてむせることが多くなってきたような気がする。燕下障害?
さっきも、ミカンを食べていて、あやうくむせそうになったし。
やっぱり年かしら? あ~、やだやだやだ!!

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