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2005年8月 6日 (土)

フィクションとノンフィクション-「てくてく日記」の話

私の二男にはADHDという障害がある。それがわかったのは、彼が4歳の時。以来、私はずっとホームページに彼に関する日記を載せ続けてきた。題名は「昇平てくてく日記」。人より遅れている部分が多々ある彼だけれど、彼なりのスピードで、てくてくと確実に成長の道を歩いていると感じられるからだ。
現在公開しているのは、主に小学校に入学してからのもの。それ以前の日記は、ある時私がドジを踏んだせいで、ネット上からホームページごと完全に消えてしまった。主なコンテンツは復元できたものの、日記は復元できず、小学校時代からの再スタートとなった。
とはいえ、私の手元には保育園時代の日記も、それ以前の日記も、ほとんど全部残っている。いつか編集した上で再公開しようと思っているのだけれど、なにしろ半端な量ではないので、なかなか手が出ない。なんとか保育園以前の分はダイジェスト版を出せたけれど、残りがいつになるのかは、ちょっと見当がつかない。(苦笑)

さて、私が今連載している「フルートの冒険」と「てくてく日記」の最大の違いは、フィクションかノンフィクションか、ということだ。
「フルート」は完全に私の創作だから、登場人物も舞台もできごとも、すべて私自身が考え出して世界を構築していく。それに対して、「てくてく日記」は書く事柄は決まっている。事実を変えてしまうことはできないから。
その代わり、日記は実際のできごとから書く内容を「抽出する」という作業が生じる。実際に起こっていることには、ありとあらゆる行動、ことば、音、場面が雑多に含まれていて、とてもわかりにくい。その中から、大事だと思うこと、私が感動したことをピックアップして、それをひとつの流れとしてつなぎ合わせるのが、日記を書くという作業なのだ。ちょうど、ドキュメンタリーの膨大な量の撮影フィルムを、編集してひとつの番組に作り上げていく過程に似ていると思う。

「てくてく日記」は、決して目を見張るような成長の記録でも、絶賛されるような療育成果の報告でもない。でも、日々、二男を見ている中で、ふと目についた小さな変化、ふと気がついたちょっとした成長を拾い上げていくことで、なにか、昇平というひとりの障害児の成長ぶりが目に見えてくるような気がするのだ。私にはそれがたまらなく面白いし、日記を読んだ人が一緒に彼の成長を喜んでくれると、さらに嬉しい気持ちになる。
そんなこんなで、かれこれもう6年。ずいぶん続いたなぁ、と改めて思う。そしていったい彼が何歳になるまで続くんだろう、と思う。でも、きっとこれからも、発表の場がある限り、私は彼の成長を追い続けるんだろうな。だって、見ていて、面白くてたまらないんだもの。

障害児がいる生活というのは、とても大変で、不幸なものだと思われることが多い。
でも、「てくてく日記」を読んだ人が、『おや、そうでもないみたいだぞ? 大変そうではあるけれど、でも、面白いことや楽しいこともいろいろ感じているみたいだぞ』とわかってくれたらいいな、と思う。
フィクションとノンフィクション。それぞれ手法は違うし、書く内容も違うけれど、私はどちらも書き続けていきたいな、と思っている。
私って、欲張りかもしれない。

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