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2005年8月31日 (水)

暑い・・・

明日から9月。朝晩涼しい風が吹き、日中も過ごしいやすくなってきて、ああ、もうすぐ秋だなー、夏も終わりだなー、なんて思っていたら・・・今日はまたまた暑くなった!
あ~、パソコンに向かっていると、なおさら暑いよ~!!
まだ暑い日は続くのか。見通し甘かったな。うだ~・・・。 <急激な暑さに弱い

なんとなく、今夜はまた冷たい麺が食べたい気分。
よし、そうしよう。今夜のメニュー、決まり!(笑)

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2005年8月28日 (日)

学会に参加する

この記事は東京は調布の、とあるビジネスホテルで書いている。日本自閉症スペクトラム学会の大会に参加に来ているのだ。
こういうとき、多くのブログライターは自分の携帯からアクセスして記事をアップするようだけれど、私の携帯は古いタイプなのでそれができない。なので、ホテルの備品のメモ用紙に、こうしてせっせと覚え書きをしている。あとで家に帰ったらブログにアップしよう。
それにしても、ひとりでどこかに泊まるなんて、いったい何年ぶりだろう? ・・・たしか、昇平が生まれて間もなく、メニエルの発作でぶっ倒れて入院したとき以来だな。でも、病院は一人きりだったわけではないから、本当に一人で泊まったというのは・・・子供が生まれてから初めてかもしれない。うわーーーー、感動!(爆)
これも、旦那と義母の絶大な協力のおかげ。食事の世話は義母が引き受けてくれたし、子どもたちも「お父さんはいるの?」「いるよ」「あっそ」てな具合で、すんなり納得してくれた。家族は本当にありがたいなぁ。

学会ではネットの療育仲間たちが自主シンポジウムを開いた。私は子どもがADHDと自閉のボーダーライン上にいることもあって、発表者ではなく、応援団としての参加だった。・・・周辺障害の子どもの親という立場から、ちょっとだけ発言はしたけれど。
仲間たちが出会った場である「ことばと発達の学習室」掲示板の管理人さんや、同じ掲示板の常連のPさんとも会えて、本当に嬉しかった。実を言えば、仲間の中にも今回初めて会った人がいるのだ。掲示板やメールでは、もう6年近くもおつきあいしているのに! でも、会えば何年も前から知っている人のように、何の違和感もなくすんなりしゃべったり、笑い合ったりできるのだから、ネットの世界というのは本当に不思議だ。
大会の懇親会では、この世界で著名な先生方や関係者の方々にも、たくさんお会いしてしまって、私は目まん丸、気分ハイテンションで、有名芸能人を見かけたお上りさんのような状態だった。保護者の立場で懇親会にまで参加したのは、どうやら我々だけだったようなのだけれど、親の話にも熱心に耳を傾けてくださる先生方が何人もいらして、本当に嬉しかった。こういう専門家となら”連携”も組んでいけるよね・・・。

さて、今日もこれから大会に参加してくる。夕方までには家に戻らなくちゃならないから、昼までしか参加できないけれど。朝食も済んだから(と言っても、コンビニで買ってきたパンと野菜ジュース)あともうしばらく部屋でのんびりしていることにしよう。
唯一残念だったのは、今回自分のパソコンを持ってこなかったこと。持ち歩くのが大変で家に置いてきてしまったのだが、ここにパソコンがあれば、この記事もすぐアップできたし、何より”憧れのカンヅメ生活”が体験できたんだけどなぁ!
来年に期待するか。(笑)

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2005年8月22日 (月)

OB合宿(郡山磐梯熱海方面)

土日、旦那と昇平と3人で大学時代のサークルのOB合宿に参加してきた。ちなみに、私と旦那は同じサークルの出身。私の方が一学年上だったけれど、サークルに入部したのは同じ年の同期だった。
私たちが卒業してから、早いものでかれこれ20年。その間、なかなか会うことはできないけれど、年に4回(最近は年に2回)近況報告をまとめた会報を発行し続け、数年に一度はOB合宿を開いてきた。実は会報の発起人は私なのだが、結婚して子どもも生まれてからは編集作業に携わるのが難しくなって、今では2学年下の後輩たちをメインにしたグループに発行を一手に引き受けてもらっている。彼女たちがいなかったら、会報もOB活動もこんなには続かなかっただろうなぁ、と思う。感謝。

今回参加したのは、我々も含めて9名。遠方にいるOBも仕事が忙しいOBも大勢いるので、まあ、こんなものかな、というところ。子どもは、急にキャンセルが出て、結局昇平だけだった。小さな子がいないというので、昇平はホッとしていたけれど。>小さな子の泣き声が大の苦手。
OB合宿と言っても、取り立てて何か大きなことをするわけでもない。ただ集まって、近況報告や、面白かった本や映画の話、懐かしいSFの話などをするだけ。(SF研究会なので。) 最近はSF界もちょっと元気がないので、話題としてはあまりネタがなくて残念。でも、とにかく会って、よそではちょっと話せないようなマニアックな話題に全員でうなずき合ったりと、楽しい時を過ごしてきた。
歴史が好きで海外旅行が趣味というメンバーも多くて、その土産話を聞くのも面白い。最近メキシコに行ってきたばかりの後輩がいて、お土産のテキーラをちびちびやりながら、マヤやアステカやその他もろもろの文明の話を聞かせてもらった。通り一遍な観光旅行はしてこない人たちなので、その話もなかなか面白いのだ。ジャングルの中に隕石が落ちて、そのクレーターの周辺に湖ができ、その周りに遺跡ができているのだ(マヤ文明)とか、アステカでは毎日1人ずつ生け贄を捧げなくてはならなくて、神の前で競技をした際には「優勝者」が生け贄として捧げられたのだ、とか・・・。神には最高のもの、最高の人間を捧げるもの、という信仰だったらしい。捕虜や奴隷じゃダメだったのだそうだ。その意味合いはわかるけど、厳しい信仰だなー。(^_^;)
ちなみに、テキーラはブランデーに似た味でおいしかった。私は実家の父の影響でブランデーやウィスキーといった蒸留酒が一番好きなので、テキーラも気に入ってしまった。結局、私が一番飲んでいたかなぁ? ただ、非常に強い酒なので(アルコール度40%)、中島みゆきの歌のように『テキーラを飲み干して』というわけには行かなかった。おつまみをたくさん食べながら、なめるようにちびちびと。(笑)

keyakinomori
宿泊先は、郡山市の西にある磐梯熱海温泉。温泉街としては昔から有名な場所。(かつて火事を出した磐光パラダ○スのあった町。火を使った金粉ショーというのが売りだったのだけれど) 最近、ケヤキの森という散策路ができたというので、翌朝、旦那たちと後輩と4人で歩いてみた。1キロ足らずと散策路としては短いが、コースの途中では奇妙な形のケヤキが何十本も見られて、非常に面白かった。幽玄な雰囲気。写真は、そこで撮ってきたもの。(写真をクリックすると拡大します)
ちなみに、昇平は散策路の入り口に立っていた『マムシに注意』の看板にびびってしまって、大変だった。ヤブにさえ入らなければ大丈夫だよ、と言っても耳を貸さず、旦那にしがみついて、早々に通り抜けていた。昔の何物にも動じない君は、どこへ行ったんだ~??? って、あの頃は危険も何もわからなくて、ただひたすら歩くだけだったからなんだけどね。ま、それだけ大人になったわけだ。(笑)

その後は、近くのふれあい牧場へ。市営なので、入場料が安い!(大人310円、子ども150円) これで、園内のおもしろ自転車に乗ったり、小川で遊んだり、広々とした芝生で遊べたり、と存分に過ごせる。乗馬や動物の餌は別料金。(乗馬:大人400円/動物の餌100円) 郡山市内から車で30分くらいで来られる場所なので、休日はたくさんの親子連れでにぎわう。
ここでバーベキューの昼食。ご飯と絞りたて牛乳が付いたセットが1人前1300円程度。肉も、牛、豚、マトン、ラム、ソーセージといろいろある。もちろん野菜も付いてくる。「おいしいね~、たのしいね~」と大喜びの昇平だったが、近くの席で赤ちゃんがぐずりだしたところからだんだん険しい顔。彼はホントに泣き声が苦手なのだ。なので、食事が終わったところで、他のメンバーに別れを告げて、一足先に帰路についた。
それでも、昇平はとても楽しかったらしい。夜寝る前には「旅行、楽しかったねぇ~!」と言っていた。
母も父も楽しかった。本当に久しぶりのレジャーらしいレジャーだったから。
今日になって、足はすっかり筋肉痛だけど、心の方はリフレッシュして元気いっぱいになっている。
ああ、ホントに楽しかった!

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2005年8月19日 (金)

「食べる」場面

昨夜のこと。昇平が突然言ってきた。
「お母さん、『フルート』では何か食べる場面が出てこないよねぇ。フルートたちは何も食べなくても平気なんだねぇ」
食べないということを納得したわけではなく、「食べなくても平気なんて変だねぇ」というニュアンスらしい。面白そうな表情をして言っている。
ふーん。何がきっかけかわからないけど、急に、フルートたちの生活の様子を頭の中で想像したわけね。
そこで、母はにやりと笑って
「それはね、昇平くんに話して聞かせるときには、そういう場面をすっとばして話していただけなの。小説にした方では、食事の場面がすごくたくさん出てきているんだよ」
「例えば?」
と昇平。
「うーんとね・・・つい最近書いたところでは、乾燥野菜と干し魚の煮込み料理なんてのを出したよ。あとはウサギ肉のパイとかシチューとか・・・『北の大地の戦い』では凍った丸いパンとか」
「果物は?」
「もちろん果物も食べるよ。エルフにもらった果物をお弁当に食べる場面があるよ。ただ、旅をしているとき、生の果物は持ち歩くのに不便だし、持ちが悪いから、あまり食べないけどね」
すると、わきで聞いていたお兄ちゃんが面白そうに口をはさんできた。
「お母さん、『ロード・オブ・ザ・リング』の影響をものすごく受けてるね」
ちなみに、お兄ちゃんは映画館で三部作全部を観ている。私はまだ第二部までしか観ていない。本は全部読んだけれど。
そこで、母は胸を張ってこう答えた。
「当たり前でしょう。世界中のこの手の作品で、『指輪物語』の影響を受けていないものなんて、まずありえないよ!」
・・・開き直り。(笑)

でも、私は本当に『フルート』シリーズの中に食事のシーンを出すのが好きだ。
昇平の寝物語に話して聞かせるときには、あまりそういうことばかりに時間は割けないので、さらりと流したり、はしょったりすることが多いけれど、そして、ゲームの世界でも主人公たちはまず食事などに時間をかけたりはしないけれど、文章で書いているときには、彼らが実際に食べるだろうものをあれこれ想像してみるのが、楽しくてしかたがないのだ。この場所で採れそうな食材は・・・旅をしているのだから、携帯しやすいもので・・・限られた調理器具、調理手段を駆使してできそうな、おいしそうな料理は・・・。
私はホームページで料理のレシピをもう何年も連載してきているけれど、なんとなく、そのノリと似たものがある。かくて、主人公の右腕ともいえるドワーフの少年は、ものすごく料理上手で生活力のあるキャラクターになってしまった。(爆)
所詮空想話だし、別に大した食事なんかしていなくても、状況が普通じゃないからそれはかまわないのだけれど、でも、「食べる」という基本的な行動は、なんとなく「生きる」姿勢にもつながっているような気がして、私はやっぱり書きたくなる。食べること、寝ること、動くこと、そして・・・敵に襲われたときには戦って身を守ること。
生きるっていうのは、ごく当たり前な、そういうことなんだろうと思うから。
もうひとつ、仲間と助け合う、っていう大きな要素もあるけどね。

私が大好きなものばかりをぶち込んで書いている『フルート』シリーズ。今は2話目の第3部を書き直し中。
今日もまた食べるシーンが出てくるかな。何を作らせて、食べさせようかしら。(笑)

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2005年8月18日 (木)

どっひゃ~!!!

お盆が終わり、子どもたちも今日から学校の補講や学童に出かけました。
私はたまりまくった用事を片づけるために、午前中あちこち車を走らせていました。
なにが、きっかけだったのか。
ふと、頭にひらめくものがありました。

・・・私、今年免許更新じゃなかったっけか?

いや、そうだ。確かに更新のお知らせが6月中に来ていた。
おばあちゃんの体調が悪くなって一時的に入院したり、夏休みが始まってバタバタしたり・・・あれこれある間に、すっかり忘れてしまっていました。
どっひゃ~!!! ままま、まずいーーー!!!
わた、私、免許切れで車を運転しているの!??

冷静になってよく考えてみたら、免許更新は誕生日の「前後」1か月間。
私の誕生日は7月26日。大丈夫、まだ更新期間中でした。
ああ、よかったぁ~・・・。明日には更新の手続きに行ってこなくちゃ。
思いっきり心臓に悪い一瞬でした。
やれやれ。

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2005年8月16日 (火)

地震

今日の午前11時46分頃、東北地方を中心に、大きな地震がありました。

私はちょうどその時、昼食の支度をしようと台所でエプロンをつけ、今まさにガス台の元栓を開こうとしていたところでした。もちろん、すぐに止めて様子を見ていたんですが、揺れ方が尋常じゃない。ゆらゆら、ではなく、ガタガタガタガタ・・・縦揺れです。どんどん大きくなってくるので、大急ぎで二階に駆け上がりました。
壁に掛けてある写真の額は落ちてくるわ、窓際にディスプレイしていた缶や瓶が崩れてくるわ、電灯の笠は傾ぐわ、本は崩れ落ちるわ・・・さすがにすごかったです。
昇平はパソコンをやっていたのですが、旦那のところにすっ飛んでいって、抱きかかえられていました。私はとっさに机の上から自分のノートパソコンを取り上げ、電源とマウスを引っこ抜いて、抱きかかえましたわ。家族の次に私が大事なのはこれよ、これ!(爆)
って、机の上に棚があって、ビデオテープが載せてあったので、落下してきたらパソコンを直撃するからだったんですけどね。やっぱり、この棚、使うのが止めたほうが良いかもしれないなぁ。
揺れが長くて、棚の中のティーカップがガラス戸を開けて飛び出しそうだったので、棚を押さえて様子を見ているうちに、揺れが収まってきました。
この場所がこれだけ揺れるからには、さては宮城県沖!? と思ったら、案の定でした。宮城県南部では、震度6弱を記録したところがあったようです。
ちなみに、私たちが住んでいる町は震度5弱。でも、木造家屋の2階にいたので、私たちが体験したのは震度5強くらいだったんだろうと思います。

それにしても、帰省ラッシュのピークまっただ中のこの大地震。新幹線は停まっているし、在来線も高速道路もあちこちで停まっているし。怪我をした人もいらっしゃるし・・・。
なんだか、とんでもないお盆の最終日になってしまいました。

・・・と、これを書いていたら、また小さな揺れを感じました。余震ですね。
落ち着くまでには、もうちょっとかかりそうな様子です。

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2005年8月10日 (水)

大人になる子たち

お兄ちゃんが最近整髪料を使い始めました。ワックスというのかな。髪が寝てしまうのを気にして、つんつんと立てています。朝食は抜いても、登校前に必ず鏡を覗くのは忘れない様子を見て、「年頃になってきたなぁ~」と思うことしきり。
昇平もずいぶん背が伸びました。先日買い換えたばかりの22.5センチの靴が、あっという間にはけなくなって、23センチを買い直しました。背丈や足が伸びただけでなく、ふと見る背中が大きくなってきているのに驚きます。いつの間にか、だんだん男の子らしい体型になってきているみたいです。
お兄ちゃんも昇平も、小さい頃は女の子のような顔をしていました。髪をゴムでしばってやると、本当に女の子と間違われていたくらい。女の子の孫が欲しかったおばーちゃんは、一時期、彼らに赤い色の服ばかり買ってきていました。
だけど、今はもう、間違えたくても間違えようのない男の子たち。お兄ちゃんは見上げるような背丈になってしまったし、昇平も「俺はよぉ~」なんて言い方をするようになってきました。「お母さん、お母さん」と言ってもらえる日々も、だんだん残り少なくなってきているのかもしれません。

子どもたちはどんどん大人になっていきます。
親である私が、後に置いて行かれないように。
私は私で、がんばらないとね!

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2005年8月 9日 (火)

原爆の日に想う

太平洋戦争終結から60年。ヒロシマ、長崎に原子爆弾が投下されてから60年。
風化しつつある戦争の記憶。次々にこの世を去っていく戦争と被爆の語り部たち。日本では、戦争は遠い記憶になってきている。

私も戦争は知らない。戦後16年経って生まれたのが、私。日本は戦後復興の時代を終え、空前の発展を遂げていた。カネが増え、モノが増えていく時代と共に、私は育ってきた。
だけど。どんどん豊かになっていく時代のすぐ裏側に、戦争の爪痕はまだ生々しく残っていた。幼稚園に通っていた頃、母にくっついて買い物に行く途中に崖の下に掘られた穴があって、鉄条網で入り口がふさがれていた。「戦争の時の防空壕だよ」と母が教えてくれた。「アメリカの飛行機が飛んできて、爆弾を落としたから、こんなふうに穴を掘って、みんなそこに隠れたんだよ」
「敵の飛行機が来ると空襲警報のサイレンが鳴るから、そうするとみんな大急ぎで隠れたんだよ。夜中でも鳴るから、みんな服を着たまま寝たんだよ」

両親は当然、戦争を経験してきていた。農家の子だった父は、それほど生活には困らなかったようだけれど、サラリーマン家庭だった母は、戦中戦後、ひどい食糧難を経験してきていた。戦争の恐ろしさも聞かされたけれど、それより何より、食べるものが何もなくてとてもひもじかったこと、モノが何もなくてつらかったことを、よく聞かされた。
母はとても小柄だが、それも成長期に十分に食べ物がなかったからだという。実際、その通りだったのだろうと思う。その時代に、幼かった妹弟が栄養失調と病気で死んでいった話も聞かされた。

小学校に上がる頃になると、「戦争」ということばが目につくようになってきた。テレビで、襲撃を受けた跡地からたくさんの遺骨が発掘された、というニュースが流れることもあった。広島と長崎に原子爆弾が落とされて、大勢の人たちが亡くなった話も聞かされた。頭の中で、地中に埋まったまま忘れられていた戦没者の遺骨と、原子爆弾がリンクした。
小学1年生か2年生の頃。人骨は「死」を象徴する恐怖の対象だった。戦争でたくさんの人が死んだ。死んだ人たちは骨になった。原子爆弾はたくさんの人を殺した。たくさんの人たちが死んで骨になった。怖い怖い。戦争は怖い。原子爆弾は怖い。・・・幼かった私は、地図帳の長崎や沖縄が怖くて見られなくなった。本当は広島も怖かったのだけれど、広島がどこにあるのか、当時の私にはわからなかった。

やがて、もっと成長して、頭の中で戦争というものが整理されてきた頃、私は自分から原爆体験記を読みあさるようになった。怖かった。でも、その恐怖以上に、真実を知らなくちゃいけないんだ、という想いがあった。
戦争は怖い怖い・・・だけど、だからこそ、それを繰り返さないために、戦争を知らなくちゃいけない。私はそんなふうに考えていた。

大人になって、イラク戦争が勃発したとき、テレビは毎日のように戦争の様子を報道した。次々と打ち出されるミサイル、爆撃機から雨あられと降る爆弾、上空から映した燃える町。
手に取るように見えるのに、それを見ている私の周りは、平和そのものの日本。食べ物のモノも有り余るくらいあって、毎日が平和のうちに過ぎていく。テレビのチャンネルを変えれば、娯楽番組が笑い声を立てている。
これは、なんだろう? と思った。
怖い怖い戦争。人の命を一瞬のうちにたくさん奪っていく戦争。現実にそれが世界のどこかで起きているのに、目の前に見えているのに、でも、私は平和な日本にいる。テレビに映る爆弾の映像。あれは映画でもアニメでもない。今この瞬間にも、その下で、たくさんの人たちが死んでいっているのに。
日本は、こんなにも、平和だ。そして、そのことを、みんな特別なんとも感じずにいる。
どこかで、何かが狂いだしている・・・・・・そんな気がした。

戦後60年。
人は、その状況になってみなければ、今ある幸せの意味を知ることができないんだろうか。失ってみて初めて、その大切さを身にしみるんだろうか。
原爆の日が、そして終戦記念日が来るたびに、私はそんなことを考える。
平和は尊い。障害のある子を授かってから、その想いはますます強まっている。
人が人であることを大事にされるためには、世界が平和でなくちゃならない。
そして、そのためには、平和を大事にしなくちゃならない。
そんな当たり前のことさえ感じることなく過ぎていく、今の日本は・・・・・・怖いかもしれない、と思っている。

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2005年8月 6日 (土)

フィクションとノンフィクション-「てくてく日記」の話

私の二男にはADHDという障害がある。それがわかったのは、彼が4歳の時。以来、私はずっとホームページに彼に関する日記を載せ続けてきた。題名は「昇平てくてく日記」。人より遅れている部分が多々ある彼だけれど、彼なりのスピードで、てくてくと確実に成長の道を歩いていると感じられるからだ。
現在公開しているのは、主に小学校に入学してからのもの。それ以前の日記は、ある時私がドジを踏んだせいで、ネット上からホームページごと完全に消えてしまった。主なコンテンツは復元できたものの、日記は復元できず、小学校時代からの再スタートとなった。
とはいえ、私の手元には保育園時代の日記も、それ以前の日記も、ほとんど全部残っている。いつか編集した上で再公開しようと思っているのだけれど、なにしろ半端な量ではないので、なかなか手が出ない。なんとか保育園以前の分はダイジェスト版を出せたけれど、残りがいつになるのかは、ちょっと見当がつかない。(苦笑)

さて、私が今連載している「フルートの冒険」と「てくてく日記」の最大の違いは、フィクションかノンフィクションか、ということだ。
「フルート」は完全に私の創作だから、登場人物も舞台もできごとも、すべて私自身が考え出して世界を構築していく。それに対して、「てくてく日記」は書く事柄は決まっている。事実を変えてしまうことはできないから。
その代わり、日記は実際のできごとから書く内容を「抽出する」という作業が生じる。実際に起こっていることには、ありとあらゆる行動、ことば、音、場面が雑多に含まれていて、とてもわかりにくい。その中から、大事だと思うこと、私が感動したことをピックアップして、それをひとつの流れとしてつなぎ合わせるのが、日記を書くという作業なのだ。ちょうど、ドキュメンタリーの膨大な量の撮影フィルムを、編集してひとつの番組に作り上げていく過程に似ていると思う。

「てくてく日記」は、決して目を見張るような成長の記録でも、絶賛されるような療育成果の報告でもない。でも、日々、二男を見ている中で、ふと目についた小さな変化、ふと気がついたちょっとした成長を拾い上げていくことで、なにか、昇平というひとりの障害児の成長ぶりが目に見えてくるような気がするのだ。私にはそれがたまらなく面白いし、日記を読んだ人が一緒に彼の成長を喜んでくれると、さらに嬉しい気持ちになる。
そんなこんなで、かれこれもう6年。ずいぶん続いたなぁ、と改めて思う。そしていったい彼が何歳になるまで続くんだろう、と思う。でも、きっとこれからも、発表の場がある限り、私は彼の成長を追い続けるんだろうな。だって、見ていて、面白くてたまらないんだもの。

障害児がいる生活というのは、とても大変で、不幸なものだと思われることが多い。
でも、「てくてく日記」を読んだ人が、『おや、そうでもないみたいだぞ? 大変そうではあるけれど、でも、面白いことや楽しいこともいろいろ感じているみたいだぞ』とわかってくれたらいいな、と思う。
フィクションとノンフィクション。それぞれ手法は違うし、書く内容も違うけれど、私はどちらも書き続けていきたいな、と思っている。
私って、欲張りかもしれない。

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2005年8月 5日 (金)

対象年齢

「フルート」シリーズ第2話の書き直しを始めている。副題は「風の犬の戦い」。

これはそもそも二男の寝物語に語り始めた作品だから、主人公は子どもたちだし、内容も「ドラクエ」などのRPGの影響が強い。最初に二男に語ったのは、ゲームそのままのような物語だった。
でも、次々と語っていくうちに、次第にキャラクターたちがそれぞれの個性を持って動き出して、物語にテーマが現れ始めた。そうして書き上げた4話目「北の大地の戦い」は、もうすでに二男たち小学校低学年の子どもたちにはレベルの高い作品になってしまった。長いし、語句も難しいしで、自力で読むのは困難だろうと思う。
子どもたちには申し訳ないな、と思っている。あの、気軽に読めて、チャンチャンバラバラと楽しい冒険物語を、もっと読みたかったんだろうな、と思うから。
だけど、私は自分の思っていることを作品に乗せて送り出す「もの書き」だから・・・。
やっぱり、私は、自分が書きたいことを書いていきたいのだ。

「フルート」シリーズの書き直しは楽しい。ゲームみたいだった単純なストーリーを、解釈し、ふくらませ、ひとつの「物語」に仕上げていく過程が、たまらなく面白い。寝物語では語るわけにはいかなかった主人公たちの過去や物語も語れるし、世界もぐっと広げられる。対象年齢は小学校高学年以上にしているけれど、私自身としては、そのぐらいの年代から大人までをターゲットにして書いている。主人公たちの年齢が年齢なので、大人の恋愛などは描けないけれど、でも、そういうものを抜きにしても楽しめる物語が作れたらいいな、と思っている。

対象年齢を引き上げた改訂版の「フルート」シリーズを、昇平もときどき覗くけれど、やっぱり自分で読むのは大変らしい。すぐに離れていってしまう。読んで聞かせてやれば、かなり理解できて、ついてくるのだけれど。
だけど、将来、子どもたちがもっと大きくなったとき、自分の力でこの作品を読んで、今とはまた別のものを見つけたり、何かを感じて考えたりしてくれたら・・・。
そしたら、本当に素敵だな、と私は夢を見る。
チャンバラだけでない面白さがあったんだ、と気がついてくれたら、本当に素敵だな。

今は無理でも、いつの日か、もしかしたら・・・ね。

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2005年8月 4日 (木)

忘れちゃいけないこと

ヒロシマ原爆の日まで、あと2日。最近、テレビで戦争の特集が目につく。
そういう時期なんだなぁ。

でも、日本が最後に戦争を経験してから、すでに60年・・・。
私もまったく戦争を知らない世代ではあるけれど、親や祖父母たちは戦争経験者だったから、その生の体験談というのは聞くことができた。戦争は、今よりは現実味のあるできごととして社会の中にあった気がする。
今は、テレビで特集されていても、どのくらい現実のできごととして感じられているんだろう、という気がしている。

毎年、ほんとうにこの時期になると、私は考えてしまう。戦争のない平和な世の中であり続けて欲しい、って。
今、こんなふうに子育てに一生懸命でいられるのも、笑いながら楽しみながら生活していられるのも、社会が平和だからこそなんだもの。ほんとうに戦争になってしまったら、人は生き延びることだけに必死になってしまう。障害を持つ子どもたちなんて、誰にも顧みられなくなってしまうのだもの。
いくら不況だ、なんだと言ったって、やっぱり日本は平和なのだわ。

人は幸せに慣れてしまうと、それが当然のことのように感じられるようになってしまう。
忘れちゃいけないことって・・・あるよね。

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2005年8月 3日 (水)

めちゃくちゃ暑い!

室温はすでに34℃を超えています。ノートパソコンで作業しているので、私のいるあたりはもう1℃くらい高いんじゃないかしら。とにかくもう、暑いです! むっちゃくっちゃ暑いです!
でも、そんな中、扇風機は使っていてもクーラーはかけない私。普段から、日中はあまりクーラーのお世話になりません。なんででしょ。自分でもよく分からないのだけれど、たぶん、クーラーの効いた部屋にずっといるよりは、暑くて汗をだらだら流しているほうが、体調が良いと自分で感じているからなんでしょうね。何しろ、運動をほとんどしない生活をしているから、暑いときに汗をかいておかないと、新陳代謝が悪くなるのでしょう。
ただ、パソコンにはこの暑さはかわいそうかも。手を載せていても、かなり熱くなっています。一時は下のファンからうまく熱が逃げなくなって、本体が熱暴走を起こしていたけれど、百円ショップで手に入れたスノコを敷くことで、どうやら解決した様子。でも、あまり熱くなってきたときには、ときどきスイッチを切って冷ましてやった方がいいのかもしれません。
ここ福島も今日、ようやく梅雨明け宣言が出されたそうです。外では蝉の声がうるさいくらい。なので、ホームページのトップ絵も夏らしいものに変えました。
8月。ほんとうに、夏真っ盛りです。

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2005年8月 1日 (月)

暑いですね。それもそのはず、今日から8月ですもの。
ここ東北は何故かまだ梅雨明け宣言が出ていないのですが、空も吹く風もすっかり真夏の雰囲気。連日30℃を越える暑さになっています。
こんな中、福島の桃もおいしくなり始めました。主力品種の「あかつき」の収穫はもう少し先ですが、それに先駆けて早生品種が出回っています。
・・・あのね、桃って、収穫したばかりは堅いんですよ。堅くて、でも、甘いんです。皮は包丁でなければ剥けません。そぎ切りにして、パリパリ音を立てて食べるんです。でも、この堅さの寿命は、せいぜい収穫後1~2日(冷蔵庫に入れておけばあと1日くらいは持つけれど)。気温にもよるけれど、あっという間に柔らかくなって、首都圏ではおなじみの「手で皮が剥ける桃」になってしまいます。これはこれで、香りが高くて甘いので、やっぱりおいしいですけどね。まだ堅い桃のあっさりした甘さをパリパリと味わい、柔らかくなったら、冷蔵庫でしっかり冷やして、これもトロンといただく。段階ごとの味わい方が出来るのは、やっぱり産地ならではの特権なのかもしれません。

桃の写真を載せようと思ったのだけれど、あまり上手に撮れなかったので、代わりに今月の写真として、ミニトマトの絵を載せておきます。ちょっと細長い、イチゴみたいな形をしていますが、これまた驚くくらい甘い品種なのです。JAの直売所でおばーちゃんが買ってきました。
福島の夏は、おいしいですよ。
05-08-01_13-03

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