感想はありがたい
お二方から「フルート番外編」の感想メールをいただきました。いや、本当にありがたいです。感謝感激。
誉めことばはもちろん嬉しいけれど、それ以上にありがたいのは、今後につながる批評や指摘。書いている本人は、どうしたって自分の目からしか作品を見られないから、他人の感想を知るのはとても大事なことになります。例えそれが読んで痛い批評だったとしても、それはそれとして、ありのままに受け止めなくてはならないと思っています。
学生の頃、私は作品を書き上げるとサークルに持ち込んで、先輩、後輩、同期たちに次々読んでもらいました。今思えば、ものすごく恵まれた環境だったと思います。手書きの原稿の束の後ろにレポート用紙をくっつけて、そこに自由に書き込んでもらったのですが、男性が多かったこともあって、厳しい指摘も多かったです。当時書いていたのがSFだったということもあるかもしれません。SFファンは科学的考証や論理的な部分に少しでも甘い部分があると、鋭く指摘してきますから。文章の一言一句にまでこだわった指摘をする友人もいて、かなり手厳しくやられたので、批評に関してはけっこう鍛えられたかな、という気もします。(笑)
女性はそれに比べると優しいことが多かったです。書くことを励ましてくれる人が多かったですね。
でも、複数の感想を読んでいると、その人によって注目する部分はいろいろでも、ある共通したものが浮かび上がってきます。それがつまり、私の作品の「真の姿」というところでしょうか。
今回メールでいただいた感想は、お互いまったく関連なく書かれたものであったにも関わらず、「この作品はやっぱり番外編」と断言してくれていました。それから、もうひとつ、共通した指摘が・・・。(笑)
番外編のままにしておくことは、すでに自分で決めたことではあるけれど、複数の人から「その方がよいと思う」と言ってもらえると、やはり安心します。
そして、複数の人からかならず言われてくる指摘についても・・・改める、というのとは違うのですが、それをどうしていくかについて、時間をかけて考えていくきっかけになっています。
それにしても、読んでくれる人がいるというのは、本当にありがたいです。
私のような長編書きの場合は、ことさらそれを感じます。
学生だった20年前と比べると、私の友人や後輩たちもすっかり忙しくなってしまいました。ほとんど全員が40代ですからね。社会の中核を担う世代として、朝から晩まで、休日も返上しながら、忙しく働いている人たちばかりです。その中で、原稿用紙にして数百枚単位の作品を読む、ということは、よほど好きで、しかも環境的に恵まれている人でなければ、なかなか出来ないのだろうと思います。
作品を書き上げても、読んでくれる人がいない。「できたよできたよ! ほら、見てみて!」と持ち込める相手がいない。これが、私のここ十数年の状況でした。子育てが大変だったこともありますが、その間、私は書きたい気持ちと、書く時間がないことと、書いても読んでくれる人がいないことのジレンマの間で、鬱々としていたような気がします。
今、私はホームページという場を得て、そこで作品発表が出来るようになりました。
原稿をどこかに紛失してしまう心配もなく、誰かに郵送したり手渡ししたりする煩わしさもなく、相手の都合に遠慮しながらも「読んで!」と頼む必要もなく、大金をかけて印刷する必要もなくなりました。(本はページ数に比例して出版費用がかさむので、私のような長編書きには非常に辛いのです。)
感想も、メールや掲示板でたちどころに聞くことができるようになりました。
本当に本当に、ありがたい時代になったと思います。
もちろん、ホームページにもそのメディアならではの限界や問題点があり、それをどうしていくのかは難問なのですが、せっかく整ってきた環境です。多いにこれを活用して、これからも作品を発表し続けていきたいな、と思っています。
・・・さて、次は「フルート第二話」の書き直しだわね。(笑)
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