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2005年5月31日 (火)

生きることと死ぬこと

今日の昼過ぎ、用事があって義母の部屋に入っていったら、双子山親方の死去について息子の貴乃花親方が会見しているテレビを、食い入るように見ていた。双子山親方は義母とまったく同じ病気だったのだ。ただ、できた場所が少し違っていただけで。
義母は抗ガン剤と手術と放射線を組み合わせた治療を受けた。双子山親方は、術後のQOLも考えて、抗ガン剤と放射線だけの治療だったようだ。それが分かったとき、義母がつぶやいた。「手術は受けていなかったんだ・・・」
その中に少しだけホッとしたような響きを聞き取って、私はただ相づちを打つことしかできなかった。

退院して1か月。CTによる検査も2度ほど受けて、「今のところ再発はしていない」と言われているけれど、本人はやっぱり不安がぬぐいきれないのだ。先日も、突然、親戚の結婚式に出席したときの写真を渡されて言われた。
「私の葬式用の写真。玲さんに預けておくわね。これが必要になったとき、私はもう口をきけなくなってると思うから」
明るい口調でそんなことを言われたので、私も明るく言い返した。
「それじゃお預かりしておきます。でも、これが『いくらなんでも若すぎるわ』ってときになったら、また新しい写真を下さいね」

「いつ再発してもおかしくないわけだから、今のうちにできることをしておきたい、って思うのよ」と大まじめな顔で言われることもある。実際、まるで急ぐように、部屋を片づけたり快気祝いを配って歩いたりしていた。早くしないと時間切れになる、とでも言うように。
「でも、いつ死ぬかなんて、誰にも分からないんですよ」と私は答える。「今、こんなふうに元気で若く見える私の方が、交通事故で死ぬ可能性だってあるんだから。誰がどのくらい生きられるかなんて、誰にも分からないんですよ」
そうすると、義母は笑った。
「今を精一杯生きなくちゃ行けない、生きているのはありがたいことだ、とわかっている分だけ、私は幸せなのかもしれないね」

私は車の運転をしょっちゅうしているけれど、ふっと「今ここで横道から車が飛び出してきて激突したりしたら、私は死んじゃうのかもしれないな」と考えることがある。私はあまり無茶な運転はしない方だけれど、それでも、他の車からぶつかってこられたら、私に落ち度がなくても私は死ぬかもしれない。
人の命がいつまであるのか、人の生がいつまで続くのか。それは分からない。誰にも分からない。
「今を精一杯生きなくちゃ行けないとわかっている分だけ、幸せなのかもしれない」
義母のことばが、ずしりと来る。

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コメント

人間は、そんなに簡単には死なないです。そう思うの。

投稿: まつこ | 2005年6月 2日 (木) 16:34

うん、そうね。
ただ、そういう心構えというか、「命の浪費」みたいなことはしたくないなぁ、と改めて思ったの。
本当は、自分こそが明日までの命なのかもしれないんだから、とね。
 >いや、実際に死にたいわけじゃないけど。(汗)

投稿: 朝倉玲 | 2005年6月 3日 (金) 05:29

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