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2005年5月23日 (月)

ありのままを見る目

ずっと前から考えていたことがある。
いや、感じていたこと、と言ってもいいかな。

私は、正直、出会った人を社会的に判断するというのが苦手な方だと思う。
その人が美人だとか不美人だとか、ハンサムだとか不細工だとか、あるいは頭が良さそう、とか運動ができそうとか、社会的地位が高そうだとか・・・そういう判断が瞬時にできないのだ。
さすがに四十も過ぎたこの年になると、ある程度は経験から判断できるようになったけれど、それでも、この「第一社会印象」みたいなものは、他の人たちに比べるとずっと弱いような気がする。
その代わり、私は、その人が何をし、何を話し、何を大切にしていたかで、その人を判断する。

ずっとずっと昔、まだ大学生だった頃、通学電車の車両におかしな雰囲気のお兄さんたちが、どやどやと乗ってきたことがあった。マナーがよくない。大声で話し、他人の迷惑を顧みない。周りの人たちは早々に雰囲気を察してその車両から逃げ出していた。
ところが、(多分女子大生が好きだったのだろう)私より少しだけ年上らしいお兄さん(おニイさん、と言った方がよいか)が私に話しかけてきて、私はその場から逃げ出せなくなってしまった。というか、逃げ出すということ自体、思いつかなかった。私が真面目に受け答えするので、仲間のニイさんたちが「めずらしいなぁー」なんて揶揄していた。正直、その雰囲気は怖かったけれど、でも、それでも逃げだそうとは思わなかった。
ただ、目の前のおニイさんが話し相手を欲しがっていたのだけが分かった。これから北へ仕事へ行くんだ、と言う時の、自嘲するような言い方が気になった。「こっち(東北)の人は人が好いですね。ちゃんとこうして答えてくれるんだから」と繰り返し言う裏側に、いつもいつも相手にしてもらえないでいる孤独が見えて、とても不思議だった。
本当は、この人はまっとうに話しかけて、まっとうに答えてもらえる、そういう人間関係がほしいんじゃないかな・・・なんて感じていた。
そうこうするうちに、電車は大学の駅に着き、私は席を立ちながら言った。「それじゃ、お仕事がんばってください」
まわりで聞き耳を立てていた仲間のおニイさんたちが、どっと大笑いした。
私と話していたおニイさんだけが、面食らった顔で「はい、がんばります」と答えていた。
それでも、私自身は「?」状態。どうしてそういう反応になるんだろうか、と疑問に思いながら電車を降りた。
その時、出口付近に、いやに貫禄のある中年の男性が座っているのに気がついた。この人たちに目を配っていたんだ、とその時、気がついた。他の場面理解はとんとよくなかったくせに、どうしてこういうことだけは気がついたのか、今でもそれは不思議なのだけれど。

後になって、状況分析して冷や汗をかいた。
あれはおそらく、仙台刑務所へ「おつとめ」を終えた「上司」を出迎えに行った若いヤーさんたちだったのだ。
目を光らせていたのは、若い衆の監視役の中堅どころ。普通なら早々に逃げ出すはずの女子大生が、まともに若いモンの話し相手をしているのを見て、何を感じていたのだろう・・・?
ちなみに、途中車掌さんが助けに入ってきたことにも、後から気がついた。あのときの気がかりそうな視線は、「大丈夫? ここから出た方がいいよ」と言ってくれていたのね。(苦笑)

それでも、私は、これをすごく貴重な経験だと思っている。
相手がどんな社会的人物なのか、読めなかった。でも、だからこそ、その人の話を聞くことができた。
あのおニイさんは、決して自分たちのやっていることを肯定していなかった。自分のすることを自分で卑下しながら、それでも、そこから離れることはできないでいる・・・そんなふうに見えた。あのとき、揶揄していた他のおニイさんたちが、あとから私のことをどんなふうに話したのかは知らない。でも、なんとなく・・・期待的な想像だけれど・・・あのおニイサンは、普通に話しかけて普通に答えてもらえる、そんな当たり前の人間関係の存在を、ふと思い出したんじゃないかな、なんて考えてしまった。

こんな経験もある。
他の保護者が嫌い抜いていた先生がいた。でも、私はその先生を嫌いじゃなかった。確かに保護者の気持ちを読めない先生だな、とは感じたけれど、でも、できる部分で一生懸命授業や指導に取り組んでいるのが見えたから。他の保護者がその先生を嫌っていたこと自体、その先生が離任するまでまったく気がつかなかった。
一時が万事、この調子。
鈍いよねぇ、と自分で自分に苦笑することもたびたびだけど。

でも、なんだろう。
この見方は、ある意味、その人そのものを見る力になるんじゃないか、という気もしてしょうがないのだ。
昇平を3年生まで受け持ってくれた森村先生は、私より6つ以上も年下だった。でも、その考え方や指導力、子どもを思う気持ちの大きさは、本当に、年の隔たりを越えて、心から尊敬に値するものだった。
私には自閉症の知人も大勢いる。確かに彼らは人の気持ちや場面が読みにくかったり、普通とは違った感覚やこだわりをもっていたりもする。だけど、自閉症を持っていて、なおかつ尊敬に値する人は、とてもたくさんいる。そのことを、私はこの6年間のネット生活を通じて、実感してきた。
障害が何だというのだろう。それは、その人そのものを損ねるものなんかじゃない。
その人が、その人だから・・・それまでの人生を通じて得た考え方や生き方が素晴らしいから、私はその人を素敵だと思う。
ただ、それだけのことなのだ。

だから、私はこれからも、自分の目で、自分の頭と心で、出会った人たちを判断していこうと思う。
その中には「この人にはもう近づかない方がいいな」と思えるような人もいる。どんなに社会的に評価が高かったとしても、そういう人と私は合わない。
でも、私が「この人は素晴らしいな」と思える人に出会えたら、その人がどんな社会的な名前を負っていたとしても、私はやっぱりその人を尊敬するだろう。
ありのままを見る目を持ち続けたい、とそれだけを思う。

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