« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

2005年5月31日 (火)

生きることと死ぬこと

今日の昼過ぎ、用事があって義母の部屋に入っていったら、双子山親方の死去について息子の貴乃花親方が会見しているテレビを、食い入るように見ていた。双子山親方は義母とまったく同じ病気だったのだ。ただ、できた場所が少し違っていただけで。
義母は抗ガン剤と手術と放射線を組み合わせた治療を受けた。双子山親方は、術後のQOLも考えて、抗ガン剤と放射線だけの治療だったようだ。それが分かったとき、義母がつぶやいた。「手術は受けていなかったんだ・・・」
その中に少しだけホッとしたような響きを聞き取って、私はただ相づちを打つことしかできなかった。

退院して1か月。CTによる検査も2度ほど受けて、「今のところ再発はしていない」と言われているけれど、本人はやっぱり不安がぬぐいきれないのだ。先日も、突然、親戚の結婚式に出席したときの写真を渡されて言われた。
「私の葬式用の写真。玲さんに預けておくわね。これが必要になったとき、私はもう口をきけなくなってると思うから」
明るい口調でそんなことを言われたので、私も明るく言い返した。
「それじゃお預かりしておきます。でも、これが『いくらなんでも若すぎるわ』ってときになったら、また新しい写真を下さいね」

「いつ再発してもおかしくないわけだから、今のうちにできることをしておきたい、って思うのよ」と大まじめな顔で言われることもある。実際、まるで急ぐように、部屋を片づけたり快気祝いを配って歩いたりしていた。早くしないと時間切れになる、とでも言うように。
「でも、いつ死ぬかなんて、誰にも分からないんですよ」と私は答える。「今、こんなふうに元気で若く見える私の方が、交通事故で死ぬ可能性だってあるんだから。誰がどのくらい生きられるかなんて、誰にも分からないんですよ」
そうすると、義母は笑った。
「今を精一杯生きなくちゃ行けない、生きているのはありがたいことだ、とわかっている分だけ、私は幸せなのかもしれないね」

私は車の運転をしょっちゅうしているけれど、ふっと「今ここで横道から車が飛び出してきて激突したりしたら、私は死んじゃうのかもしれないな」と考えることがある。私はあまり無茶な運転はしない方だけれど、それでも、他の車からぶつかってこられたら、私に落ち度がなくても私は死ぬかもしれない。
人の命がいつまであるのか、人の生がいつまで続くのか。それは分からない。誰にも分からない。
「今を精一杯生きなくちゃ行けないとわかっている分だけ、幸せなのかもしれない」
義母のことばが、ずしりと来る。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年5月30日 (月)

「勇者フルートシリーズ」完成版公開

作品というのは、書き上げてからも修正することが多いです。
「フルートシリーズ」の「始まりの物語」と「黒い霧の沼の戦い」には、大きい子&大人向けに書き直して発表した後も、見直してはちょこちょこ手を入れ続けてきました。特に、「黒い霧の沼の戦い」を書き直してみたら、予想していた以上に『魔法の金の石』や『金の石の勇者』が大きな存在なのが分かってしまって(笑)、「始まりの物語」をそれに合わせて修正する必要も出てきてしまいました。
というわけで、暇を見ては手入れし続けてきたのですが、それも完了し、作品のイメージにあった素材も見つかったので、きちんと背景画像や素材を入れた形での「完成版」をアップしたわけです。
作品を読むつもりがない方も、ここを見てもらうと、イメージが分かっていただけるかな?
ストーリー的には、「始まりの物語」がかなり加筆されました。(特に前半部)

朝倉玲のもうひとつの大きな顔が、この「もの書き」の顔。
「下手くそ、引っ込め!」と座布団投げられようが石をぶっつけられようが、(いや、実際にそんなことをされたことはないけれど)、書くこともそれを読んでもらうことも、好きで好きでたまらないから、やめられない。
そうやって思いを込めて書き上げた作品が、イメージにあった素材と出会って、ひとつの作品になる。これは、作者には無上の喜びだったりします。自分で何度もページをめくっては、にんまりしています。(笑)

フルートシリーズ」の素材はすべて「Star Dust」という素材屋さんからいただきました。ここはどこを見ても私好みの素材揃いで、きゃいきゃい喜びながら素材選びをしてしまいました。(笑) サイト制作者のお名前が浦辺玲さんというのも、なんとも奇遇な気がします。(笑)
ここは、他の多くの素材サイトのように「え、どこからこのサイトに入ればいいの?」「探したい素材はどこ、どこ??」と迷うことがありません。そういうポリシーをお持ちの方のようです。ものすごく嬉しかったです。(つまり、それだけ私は素材系サイトで迷子になってきていた、ってこと)
指輪物語のサイトも運営していらっしゃる方のようで、イメージ的な趣味が似通っているのも、あるいは当然なのかもしれません。(私自身はつい最近まで「指輪物語」を正式に読んだことがなかったけれど、読んでみたら、大学の頃からずっと、かなり純粋な形で「指輪物語」のイメージ世界に接してきていたのが分かったから。)

この後の「フルートシリーズ」も、このサイトの素材で統一して正式公開されていくと思います。
昇平に語り聞かせている第4話「北の大地」は、まもなく最終決戦。「続きは?」と今から言われています。そのまえに2~4話の書き直しをしないと、先に進めないんだよー。(苦笑)
いろいろやることがあって、遅々として進まないこともしばしばですが、でも、必ず全部正式公開させるぞ、と意気込んでます。
アサクラ私立図書館も、作ってからずいぶん時間が経つから、そろそろお手入れしなくちゃいけないし・・・。

と言うわけで、「もの書き朝倉玲」も元気に活動中です。
忙しいけど、「書く暇がない。まとまった時間がほしい」と嘆いていた2,3年前と比べたら天国ですね。
ふふ。がんばるぞー!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年5月29日 (日)

短時間・省労力という経済的付加価値

今日、福島市まで買い物などに出かけてきたのだけれど、その帰り道の車の中で旦那と話したこと。
「現在の日本社会の経済的ニーズと今後の携帯電話の展望について」。(爆)
うちの旦那は経済学部出身。この手の話題を振ると、けっこう乗ってきて、面白い議論になります。

【現在の日本経済のニーズ】

キーワードは「短時間」「省労力」。

売り手は商品に付加価値をつけて消費者に売り込もうとする。今一番主流になっている付加価値は「短時間」「省労力」。短時間とは、文字通り、時間があまりかからないこと。省労力というのは、消費者が体をあまり動かすことなく、つまり労力を使うことなく目的が達成できること。
さらに経営サイドとしては「労働力の省力化」というニーズも発生してくる。「短時間」「省労力」の付加価値をつけるために、商品に今まで以上のコストがかかってしまったら利益にはつながらないから。かくて、どの企業でも「短時間」「「省労力」+「労働力の省力化」というのが目標になってくる。
しかし、今まで以上の付加価値をつけようとしながら、労働力を省略しようとすると(それが今までと同じ分量の労働力だとしても、作業内容としては増えてくるから、結果的には労働力の省力化となる。)どこかには必ずそのしわ寄せが出る。それが不幸な結果につながってしまったのが、今回の福知山線の脱線事故。最速運行と過密ダイヤ運行という付加価値(最速運行=短時間、過密ダイヤ=待ち時間が少なくて済む。短時間および利用者の省労力)を自社の車両につけたけれど、それを運行する職員の人数を増やさなかった(労働力の省力化)。経営目標が「安全運行」という従来の経営目標から移ったことから発生した、とても不幸な事故。言ってみれば、現在の日本社会が生んだ悲劇。事故の本当の責任者は誰なのだろう? ・・・とと、話題脱線。


【短時間・省労力に対抗する付加価値】

この短時間・省労力の代表的商品のひとつがハンバーガー等のファストフード。消費者は待たずに、手軽に、食事ができる。
けれども、アンチテーゼ的にブームになってきているのが「スローフード」。時間と手間をかけて作った料理に価値を見いだす人々・企業も出てきている。
ただし、これもまた自社商品につける付加価値のひとつでしかない。(と旦那は言う。) 他社商品と差別化して、自社商品を買ってもらうために、「時間」「手間」という付加価値をつけて売り込んでいる。
人の歴史は常に二つの両極端の間を、振り子のように揺れ動くもの。(と、これは私の持論。)片方の価値により過ぎると、必ず反省と共に、正反対の価値観へ社会は動いていく。これはどの時代でも必ず起こる。人の歴史が何千年、何万年続いているのか分からないけれど、人が社会を営み始めたときから、おそらくずっと繰り返されていることだと思う。
現在の「短時間」「省労力」という付加価値がどこまで進んで揺り戻しにはいるのか、そこは分からないけれど。


【携帯電話の今後の展望】

「短時間」「省労力」のニーズの落とし子のようなものが、携帯電話。可能な限りの機能が携帯電話に組み込まれつつある。電話、メール、インターネット、テレビ、カメラ、ビデオ、パソコンの移動端末、音楽、クレジットカード、電子書籍。IDカードとしての機能も持ちつつある気がする。
未来の携帯電話はきっと、料理も作れるようになるに違いない!
というのは、もちろん、冗談だけど。(笑)
今後、携帯電話の機能として出てきそうなもの。「自動車のナビゲーションシステム」
携帯電話に行き先を入力すると、ホストコンピュータから自動的に行き先までのルートの情報が送られてくる。それを車のモニターに転送すれば、ナビしてもらえる。これならば、ホストコンピュータを更新すれば、常に情報は最新。地図ディスクをバージョンアップする必要がない。しかも、ナビシステム本体に入れるHDDも小さくなるから、低コスト化が可能。運転中の携帯電話使用は禁止されているから、ナビシステムに携帯電話本体を直接接続する形でも良いかも。同じく、高速道路のETCシステムも、携帯電話で直接キャッシングにすると、カードを何枚も持ち歩く必要がなくなって便利かも。(以上は私の予想。)
現在の携帯電話はどんどんHDDが大容量になってきている。そのうち、パソコンのシェアも携帯電話にかなり食われるようになるかも。現在はノートパソコンが主流だが、やがて、ノートか携帯か、の時代が来て、デスクトップはほとんど市場に出回らなくなるかも。(とは旦那の予想。)


この他にも、「短時間」「省労力」のインターネット内での動きが「ブログ」だという話もしたけれど、長くなったので、このへんで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

極楽の待ち時間

義母が退院してから、1週間に1度のペースで病院に通っているのだけれど、その運転手を私がやっている。
バスや電車では疲れるし、待ち時間も長くなるし、かといって、義母に自分で運転させるのはものすごく不安だし。(笑)

病院は予約を入れて行くことが多いけれど、それでも会計を済ませてくると最低で2時間くらいはかかる。検査が入ればもっと長引く。
その間、私は近くの喫茶店で本を読んで時間をつぶしたりしていたけれど、それにも少し飽きてきたので、とうとう車の中にノートパソコンを持ち込んでしまった。モバイルセッティングはしてないのでネットはできないけれど、文章原稿の見直しや作成なら十分できる。病院からあまり遠くない大型スーパーへ行き、駐車場の片隅でパソパソ・・・。
スーパーには飲み物の自動販売機はあるし、トイレはあるし、お腹が空けば食べ物も売っている。大きな店だから、駐車場の片隅に「ろくに買い物もせずに居座る客」がいても注意されることもない。ウィンドウには日差しよけのシートを広げておくから、通行人の視線も気にならない。ポータブルCDプレーヤーを持ち込んで、お気に入りのCDをかけて。いや~、極楽極楽。(爆)
普通はウィンドウショッピングしたり、美味しいもの食べたりして時間をつぶすのかもしれないけれど、私はそういうのは疲れるんだよね。お金もないし。(笑)

ただ、この極楽タイムのネックは、パソコンのバッテリーが2時間足らずで切れてしまうこと。もうちょっと長持ちしてくれればなー。私の車はシガレットソケットがないから、車から電源をとることもできないのだ。
予備のバッテリーを買って充電して持ち歩こうかと、本気で考えているところ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年5月28日 (土)

コメント受付

コメントを受け付けられる方がいいよ、というアドバイスを最古参常連のひとり、F@旦那様から受けました。
確かに。
ということで、コメント機能をオンにしてみたのだけれど・・・これで大丈夫なのかな?
ちょっとテストです。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

「子どもに教えられたこと」

珍しく夜更かし中。久しぶりに私立図書館(私が書いた作品を置いているページ)の蔵書を読み返していました。
あまり長い間読み返さなかったので、ストーリーを忘れかけている作品も多々あって、なんだか第三者の気分で読めたりして。自分の未熟な文章に冷や汗をかいたり、逆に自分で感心したり。

そうして、最後に読んだのが、エッセィ「子どもに教えられたこと」。
はっきり言って、こんなものを書いたこと自体、忘れかけていたのだけれど。
今読み返して、ああ、そうか、と。
そうだったんだ、こういう道のりだったんだ、と。
なんだか、とても強く感じてしまいました。

なので、ここにもリンクを載せておきます。

「子どもに教えられたこと」
http://www.sets.ne.jp/~asakura/tosyo/hosi-tw7.htm/asakura.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月27日 (金)

『フルートの冒険』その4

寝物語に『フルートの冒険・4』を語る日が続いている。さすがに長編なので、毎晩語って聞かせて、やっと全体の2/3あたりまで来た。

それにしても、昇平は本当に記憶力が良くなってきている。
先日、学童で1,2度聞いただけの昔話をすっかり覚えて自分で語ったという話を聞かされたけれど、私が『フルート』を聞かせていても、やっぱり記憶力が伸びてきているんだ、としばしば感じさせられる。物語に出てくる怪物の大きさを言うのに「この部屋くらいの大きさの○○」という言い方をしょっちゅう使っていたら(注:この4話目に出てくる怪物は大型のものが多い。寒い場所での物語だから。)、「この部屋くらいってのが、ずいぶん多いね」と昇平から突っ込まれた。あう~・・・。(苦笑)
まあ、こんな具合だから、すでに3週間語っているのに、ちゃんとストーリーの初めの方も覚えていて、ちゃんと理解している。これには、ものすごく感動。長くてとても理解してもらえないだろうと思っていたのに。この4話目「北の大地の戦い」を昇平に語れる日は来ないんだろうと思っていたのに。
ことばそのものの理解力も上がってきている。もちろん、原文の難しいことばづかいは、もう少し易しい言い方に変えたりはしているけれど、(また、私は文体が少し堅いんだなぁ・・・翻訳物ばかり読んできた影響でね。)でも、それにしても、よく理解している。私がうろ覚えになって説明をごまかすと、「え、どういうこと?」なんて聞き返されるし。(汗)

くわしい内容は、物語のネタばれになってしまうから書けないんだけれど、昨夜は本当に物語一番の山場だった。
主人公が信じていた相手から裏切られて殺されそうになる場面。
昇平は、初め目を丸くして、どういうことかという顔で聞いていたけれど、次第にそれが敵だったと分かってくると、興奮して騒ぎ出した。「魔王だ、魔王だ! 絶対にそうだ!!」「やっつけろ、フルート! 殺せ! 倒せ!!」
そうだよね。裏切り者にはそうするのが、一番普通の反応だよね。
だけど、この物語はそう単純には行かない。興奮する昇平を抑えながら、「よく聞いてね。裏切り者が、どういう表情をして、どういうことを言って、どういうことをしているか・・・そこをよく聞いていてね」
我ながら、難しいことを言っているな、とは思ったけれど、裏切り者の行動描写を拾い上げてくり返してやると、それなりに考えたようだった。その日の分の物語が終わると、昇平が言った。「ぼく、そいつは魔王に操られてるんだと思うよ」
うむ、よくそこまで読みとった!――と、正直、考えた。(笑)
人は見たとおり、聞いたとおりではないことがある。見えない裏側がある。でも、よく注意していると、行動やことばの端々にそれが現れてくることがある。
物語という、非常に純化された世界の中のことではあるけれど、昇平がそんなところにも気がついてくれるといいな・・・などと考えてしまった。

しかし。目の前に自分が作った物語を聞いている人がいて、リアルタイムでそれに反応を返してもらえるっていうのは、やっぱりありがたい。正直、ちょっと話を難しくしすぎたかと心配していたのだけれど、語り聞かせれば、昇平くらいの年代の子にも十分理解できるんだと分かって、ちょっとほっとした。
物語はいよいよ佳境。今夜もがんばって語らなくちゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ありがとう

昨日、このブログを継続するかどうかを皆様にお尋ねしたわけですが、正直、反応はほとんどないんじゃないかと考えていました。
だって、このブログについてはどこでも宣伝していなかったし、リンクもトップページからの一カ所だけですからね。気がついて、しかも見に来てくれている人なんて、ごくごく少数だろうと考えていました。
でも、結果としてメールで3件、掲示板で1件、計4件の継続希望をいただきました。これがきっかけでブログに気がついてくださった方が3名、というおまけ付き。(笑) あ、気がついてくれた人は、もっと多かったのかな。気がついて掲示板に書き込んでくださった方が3名ですね。

人数もさることながら、いただいたメール等の内容に感激しました。
うまく言えないんですが・・・私が私のままで書いているこの内容が読みたい、と言ってくださっているのが、どの書き込み、どのメールからもひしひしと伝わってきて。
「私はその人がその人だから好きになったり、尊敬したりする」とは先日書いたばかりのことだけど、それを実際にやってもらうと、こんなにも嬉しいものなんだと・・・実体験してしまいました。(笑)

というわけで、このブログは、このまま継続させていくことにします。
読んでくれている方たちの顔も、これで思い浮かべられるようになりました。(本当に顔を知っている方は少ないんですが、なんとなく頭の中にはイメージができているのです。) おかげで、前より書きやすくなって、すごく嬉しいです。

これからも、きっととりとめなく話題が転々とするブログなのだろうと思います。でも、「それでいいよ」と言ってもらえたので、自信を持って(?)あっちこっち飛び回りたいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いします。(*^_^*)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月26日 (木)

さて、どうしようか

このブログを始めてから1か月が経ちました。内容はというと・・・うーん、やっぱり思った通り、星空掲示板の書き込みと似たような内容になってますね。(苦笑)
本人の興味の対象があっちこっちに飛ぶものだから、話題もあっちこっち。なによりも、ここまで自分のことばかり書いていて良いのか、って自己疑問みたいなものが生じてしまいます。
いや、ひとりごとなんだから、そんなの気にしなくて良いんだし、ブログってのはなんでも有りだと思うんだけど、私の場合は他のあまりにもたくさんホームページに文章を載せているから、なんか、いまさらブログまでやらなくても・・・という気持ちがどうしても消えない。(笑)
どうなんだろう。このブログ、楽しみに読んでくれている人もいるのかしら?
もしも、あまり見る人がいないなら、ブログは非公開にして、本物の個人の日記にした方がいいだろう、と考えています。別に、ここに書かなくても星空掲示板に書けばよいわけだし。まあ、ブログのように突っ込んだことは書けないし、掲示板の書き込みは、やがて流れて消えていってしまうけれど。

ひとりごとだから、聞き流してもらって良いのだけれど、でも、一度だけ聞いてみよう。
このブログ、公開を続けた方が良いですか?
そう思う方がいたら、『継続希望』とかなんとか、短くてかまわないから、メールをください。個人を特定されたくなかったら、星空掲示板にひとこと匿名で書いてくれても良いです。その総数で、今後のブログのあり方を考えようと思います。

| | トラックバック (0)

2005年5月23日 (月)

ありのままを見る目

ずっと前から考えていたことがある。
いや、感じていたこと、と言ってもいいかな。

私は、正直、出会った人を社会的に判断するというのが苦手な方だと思う。
その人が美人だとか不美人だとか、ハンサムだとか不細工だとか、あるいは頭が良さそう、とか運動ができそうとか、社会的地位が高そうだとか・・・そういう判断が瞬時にできないのだ。
さすがに四十も過ぎたこの年になると、ある程度は経験から判断できるようになったけれど、それでも、この「第一社会印象」みたいなものは、他の人たちに比べるとずっと弱いような気がする。
その代わり、私は、その人が何をし、何を話し、何を大切にしていたかで、その人を判断する。

ずっとずっと昔、まだ大学生だった頃、通学電車の車両におかしな雰囲気のお兄さんたちが、どやどやと乗ってきたことがあった。マナーがよくない。大声で話し、他人の迷惑を顧みない。周りの人たちは早々に雰囲気を察してその車両から逃げ出していた。
ところが、(多分女子大生が好きだったのだろう)私より少しだけ年上らしいお兄さん(おニイさん、と言った方がよいか)が私に話しかけてきて、私はその場から逃げ出せなくなってしまった。というか、逃げ出すということ自体、思いつかなかった。私が真面目に受け答えするので、仲間のニイさんたちが「めずらしいなぁー」なんて揶揄していた。正直、その雰囲気は怖かったけれど、でも、それでも逃げだそうとは思わなかった。
ただ、目の前のおニイさんが話し相手を欲しがっていたのだけが分かった。これから北へ仕事へ行くんだ、と言う時の、自嘲するような言い方が気になった。「こっち(東北)の人は人が好いですね。ちゃんとこうして答えてくれるんだから」と繰り返し言う裏側に、いつもいつも相手にしてもらえないでいる孤独が見えて、とても不思議だった。
本当は、この人はまっとうに話しかけて、まっとうに答えてもらえる、そういう人間関係がほしいんじゃないかな・・・なんて感じていた。
そうこうするうちに、電車は大学の駅に着き、私は席を立ちながら言った。「それじゃ、お仕事がんばってください」
まわりで聞き耳を立てていた仲間のおニイさんたちが、どっと大笑いした。
私と話していたおニイさんだけが、面食らった顔で「はい、がんばります」と答えていた。
それでも、私自身は「?」状態。どうしてそういう反応になるんだろうか、と疑問に思いながら電車を降りた。
その時、出口付近に、いやに貫禄のある中年の男性が座っているのに気がついた。この人たちに目を配っていたんだ、とその時、気がついた。他の場面理解はとんとよくなかったくせに、どうしてこういうことだけは気がついたのか、今でもそれは不思議なのだけれど。

後になって、状況分析して冷や汗をかいた。
あれはおそらく、仙台刑務所へ「おつとめ」を終えた「上司」を出迎えに行った若いヤーさんたちだったのだ。
目を光らせていたのは、若い衆の監視役の中堅どころ。普通なら早々に逃げ出すはずの女子大生が、まともに若いモンの話し相手をしているのを見て、何を感じていたのだろう・・・?
ちなみに、途中車掌さんが助けに入ってきたことにも、後から気がついた。あのときの気がかりそうな視線は、「大丈夫? ここから出た方がいいよ」と言ってくれていたのね。(苦笑)

それでも、私は、これをすごく貴重な経験だと思っている。
相手がどんな社会的人物なのか、読めなかった。でも、だからこそ、その人の話を聞くことができた。
あのおニイさんは、決して自分たちのやっていることを肯定していなかった。自分のすることを自分で卑下しながら、それでも、そこから離れることはできないでいる・・・そんなふうに見えた。あのとき、揶揄していた他のおニイさんたちが、あとから私のことをどんなふうに話したのかは知らない。でも、なんとなく・・・期待的な想像だけれど・・・あのおニイサンは、普通に話しかけて普通に答えてもらえる、そんな当たり前の人間関係の存在を、ふと思い出したんじゃないかな、なんて考えてしまった。

こんな経験もある。
他の保護者が嫌い抜いていた先生がいた。でも、私はその先生を嫌いじゃなかった。確かに保護者の気持ちを読めない先生だな、とは感じたけれど、でも、できる部分で一生懸命授業や指導に取り組んでいるのが見えたから。他の保護者がその先生を嫌っていたこと自体、その先生が離任するまでまったく気がつかなかった。
一時が万事、この調子。
鈍いよねぇ、と自分で自分に苦笑することもたびたびだけど。

でも、なんだろう。
この見方は、ある意味、その人そのものを見る力になるんじゃないか、という気もしてしょうがないのだ。
昇平を3年生まで受け持ってくれた森村先生は、私より6つ以上も年下だった。でも、その考え方や指導力、子どもを思う気持ちの大きさは、本当に、年の隔たりを越えて、心から尊敬に値するものだった。
私には自閉症の知人も大勢いる。確かに彼らは人の気持ちや場面が読みにくかったり、普通とは違った感覚やこだわりをもっていたりもする。だけど、自閉症を持っていて、なおかつ尊敬に値する人は、とてもたくさんいる。そのことを、私はこの6年間のネット生活を通じて、実感してきた。
障害が何だというのだろう。それは、その人そのものを損ねるものなんかじゃない。
その人が、その人だから・・・それまでの人生を通じて得た考え方や生き方が素晴らしいから、私はその人を素敵だと思う。
ただ、それだけのことなのだ。

だから、私はこれからも、自分の目で、自分の頭と心で、出会った人たちを判断していこうと思う。
その中には「この人にはもう近づかない方がいいな」と思えるような人もいる。どんなに社会的に評価が高かったとしても、そういう人と私は合わない。
でも、私が「この人は素晴らしいな」と思える人に出会えたら、その人がどんな社会的な名前を負っていたとしても、私はやっぱりその人を尊敬するだろう。
ありのままを見る目を持ち続けたい、とそれだけを思う。

| | トラックバック (0)

2005年5月19日 (木)

子どもたち

てくてく日記を読んでもらえば分かるとおり、ここ数日、昇平の不安定にあれこれ手を打つことが続いていて、ブログを書く暇がなかった。今日になって、やっと少し時間ができたところ。

今回の昇平の不安定の、直接の原因は運動会の練習なのだけれど、昇平に限らず、今の時期は不安定になる子どもたちが多い。朝、昇平を学校に送っていくと、登校したくなくて泣いている子、ぐずっている子、なんとなく顔つきのさえない子、疲れた感じの子・・・が目につく。新学期が始まって1か月半が過ぎ、そろそろ疲れが出てくる時期に重なっていることもある。運動会の全体練習にも参加できない子たちが何人かいたらしい。
みんな、それぞれの場所で精一杯やってるんだよなぁ・・・とつくづく感じてしまっている。

「今の子どもたちはやる気がない」とか「臆病になって実際にやろうとしない」とか言う人がいるけれど、私は決してそうは思わない。子どもたちは、昔も今も、変わらずにとても真剣で一生懸命だ。時には見ていて切なくなるくらい、どこでも必死に生きている。
だけど、私がこんなふうに感じるようになったのは、やっぱり昇平を育てるようになってから。お兄ちゃんの時には、運動会にも、その練習にも、とりたてて何の感想も持たなかった。学校の意義とかすごさとか、そんなものにも(教師の勉強をしてきたにもかかわらず)気がつかなかった。
昇平を育てることは、「大切なことを見抜く目」を自分の中に育てることだったような気がする。
だから、私は子どもたちがいとおしい。障害のあるなしに関わらず、勉強のできる子もできない子も、素直な子もちょっぴりひねた子も、でも、どの子も一生懸命生きているから、その姿がとてもけなげで、思わずエールを送りたくなる。
私たち大人の役目は、君たちに少しでも良い世界を残していってあげることかな・・・・・・。

| | トラックバック (0)

2005年5月16日 (月)

きのうは

一日中、昇平の不安症につきあっていた感じだな。旦那が帰ってきたら(前日は送別会で泊まりだった)、旦那にゲームをやってもらって、そのそばでけっこう落ちついていたので、その間はあまり不安定じゃなかったけれど。
誰かと一緒にいたがる昇平。やっぱり、誰かに甘えたい(頼りたい)気分なんだね。
また学校が始まる。いよいよ運動会まで1週間だ。もう一頑張りだねー、昇平。

何のことやら分からない方は、こちらを読めば分かります。
 ↓
昇平てくてく日記 「不安と人形」

| | トラックバック (0)

2005年5月14日 (土)

ふむ

今、このココログを少しさかのぼって読み返してみて、感じたこと。
「なんか、複数のライターがいるみたいだなぁ~」(爆)

人間って、けっこういろいろな面を持っているものだけれど、私の場合、それがそれぞれ少し極端なのかもね。障害児の母の顔、小説作家の顔、考える顔、ボーっとしている顔・・・それぞれの顔にちょっとギャップがあるのかも。あ、こんなふうに「分析したがる顔」もあるか。(笑)

ホームページ「アサクラ・タウン」も、だから、かなり欲張りというか、節操のない作りになっている。普通ならテーマをもっと絞り込むよなぁ~。
でも、ま、こんなふうに雑多なところもまた、いかにも「朝倉玲」らしいってことで。
ご自分の好きな顔のところでお付き合いくださいませ。(笑)

| | トラックバック (0)

2005年5月13日 (金)

いっしょうけんめい生きること

いっしょうけんめい生きている人たちがいます。
伝記に載るような立派な人生ではないし、週刊誌やテレビが取材に来るような珍しい生活でもないけれど
でも、毎日、地道にいっしょうけんめい生きてます。
当たり前な日々、当たり前な暮らし。だけど、それぞれに抱えているものがあって。
その中で迷ったり悩んだり、足踏みしたりすることもあって。

ときに、そんな人々の様子を、さかしげに分析する人たちがいます。
「あの人たちは○○なんだよ」
それはそうかもしれません。
だけど、そんなことばで、その人たちの懸命な生き方を言い尽くすことはできません。
たとえ、どんなに迷おうが、悩んだり苦しんだり、ときに逃げ出すことがあったって、
でも、毎日を生き抜こうとしている限り、その人の人生を批判することは、誰にもできません。
日々を生きていること、そのこと自体に、意義があるから。
迷っても苦しんでも立ち止まっても後戻りしても・・・
それが唯一のその人の道だから。

だから、私はこう言います。
「生きていていいんだよ。生きていっていいんだよ。
かっこよい人生じゃなくてかまわないんだから。
あきらめないで生きられたら (たまにはあきらめそうになることがあってもさ)
それでOK。それで人生は十分なんだよ」
いっしょうけんめい生きている人たちに。
そして、私自身に。

| | トラックバック (0)

2005年5月12日 (木)

ね~むい~

夕食を食べたら、むしょうに眠い・・・うにゅぅ・・・。
たまには9時あたりに早寝したいけれど、お兄ちゃんが帰ってくるのがそのあたりの時間だし、昇平の就寝は10時だし。寝る前にお話してやってるから、先に寝るわけにもいかないし。
ふわぁ・・・ねむねむ。コーヒーでも飲みますか。

| | トラックバック (0)

2005年5月11日 (水)

さーて

そろそろ昇平を迎えに行って、買い物してこなくちゃね。
義母はまだ食べられるものにいろいろ制限があるから、メニューには頭を悩ませるところ。堅いものは食べられないのはもちろんだけど、柔らかく煮たものでも、例えば豚の角煮なんかだと、繊維がぱさつくのでやっぱり食べにくいという。治療の影響で口の中に唾液が出てこないのだ。
唾液が出ない・・・というのは、非常に食べにくいことらしい。いくら噛んでも食物に唾液がまざらないから、ぱさぱさしたままなのだそうだ。水や汁気のものと一緒に飲み込めるものならばいいけれど、口の中で水分と混ぜ合わせて咀嚼し、飲み込むような食品は、どうしても食べにくいのだ。魚などはだいたいがダメ。例外は、銀タラのような身がとても柔らかい魚と、刺身類だけ。
ご飯はおかゆにしなくても、水分さえあれば普通の炊き方で大丈夫だけれど、本当に「今夜は何にしよう」と毎日考えてしまっている。
今夜は何にしよう~・・・。うーむ。

| | トラックバック (0)

2005年5月10日 (火)

『フルートの冒険』その3

結局、『フルートの冒険』3話の夜語りを終えた後、昇平の強いリクエストで、4話『北の大地』の素語りも始めてしまった。これ、長いんだけどなぁ~・・・。(^_^;)
主人公を護る「金の石」が怪物に奪われてしまって、昇平は本気で心配して「大丈夫? ちゃんと取り戻せる?」。
先を話してしまうのは本当はルール違反だけれど、それを確かめないと安心して続きが聞けないようなので「もちろん、後で取り返せるよ。そうじゃなかったら、お話にならないじゃない」と言ったら、ほっとしていた。ホントにもぅ~。ういやつぢゃ。(爆)
この4話には、冒険的な内容だけでなく、心理的なものもだいぶ含まれてくる。本人はとにかく切ったりはったりの活劇シーンが楽しみなようだけれど、いつかそういう「心」の描写の部分にも目が行く時が来るのかな。将来、文章でこの作品を読み返した時、また別な楽しみ方がしてもらえたら、嬉しいな。なんて、母というより作者としての気持ちで考えたりしている。(笑)

さて、実は今、空き時間を見つけては、『フルート・始まりの物語』の書き直しをしている。ついでに、素材も見つけてきて、ページの飾りつけもしているところ。書き直しが終わったら、改めて公開いたしましょう。ふふ・・・やっぱり、私はこういうことが好きなんだよねぇ。

| | トラックバック (0)

2005年5月 9日 (月)

「本当のことだから」

午前中、母の通院の運転手をして福島市内へ行った。病院が終わるまで、近所の喫茶店で待つのだけれど、今日は、山元加津子著「本当のことだから~”いつかいい日のため”の宇宙の秘密」という本を抱えていった。とある方にお借りした本で、内容は全然知らなかったのだけれど。
GW開けの病院は混んでいたようで、待つこと2時間。その間に読み切ってしまった。いや~、泣けた泣けた。喫茶店でぽろぽろ泣きながら読んでしまったわ。なんと思われていたことやら。(;^_^A

著者は小学校の先生を経て、養護学校に勤務している。自閉症などの障害を持つ子どもたちの豊かな世界を、エッセィの形で世に送り出している方らしい。この本の中にも、障碍を持つ子どもたちの素晴らしい詩や才能がたくさん紹介されている。

でも、私が泣けたのは、この本に書かれていることひとつひとつが、私が普段感じていることと見事にシンクロしていたから。自分がここにいて、この子がここにいて、私が知らない誰かがそこにいて、みんなそれぞれに生きていて・・・全ては偶然にみえるけれど、全てが必要と必然を持ってそこに「ある」。
その大元にあるものを、偶然と呼ぶか、神や仏と呼ぶか、運命と呼ぶか、あるいは宇宙の力と呼ぶか、それはその人によって違うだろうけれど。
それを偶然と呼ぶ人たちには笑われるかもしれないけれど、でも、私にもときどき、「それ」が感じられるから・・・。

昇平には障害がある。それは否定のしようがない事実。
でも、私はそれを不幸なことだとは思っていない。昇平自身にも、自分は不幸だなんて思ってほしくもない。
人は誰だって、得意不得意を持って生まれてくるものだし、それが「個性」なのだと思っているし、障害があるからこそすばらしい宝物をその手に握りしめていることだってあるのだから。
それは、見ようとしない人には見えない宝物だけれど。

人として、命あるものとして、この地球上に存在することを許されているのが、私たち。
当たり前なことなのに、しばしば忘れられがちな事実を、私はいつも大切だと思いながら生きている。
それと同じことを感じている人が他にもいたんだな・・・と思って、感動してしまったのだ。

生まれてきてくれて、ありがとう。
この世に産んでくれて、ありがとう。
出会ってくれてありがとう。
あなたに出会えて、良かったのだと思う――

| | トラックバック (0)

鯉のぼり

とうとうGWが終わった。最後に昇平と私は、ADHDの会のお泊まり会に行ってきて、大型連休ならではの気分も味わった気がする。

今朝、昇平を学校に送た帰り道、よその家の鯉のぼりのポールがふと目にとまった。もう鯉は泳いでいない。ただ、風車だけがカラカラと回っている。我が家では、昨日の日曜日にポールを倒して片づけていた。ああ、連休は終わったんだな、となおさら感じた。

うちの鯉のぼりはお兄ちゃんが生まれた次の年に買ったものだから、もう15年も経っている。最近男の子が生まれたばかりの家では、色鮮やかでキラキラ光る鯉のぼりを誇らしげにあげていたけれど、うちの鯉はどう見ても、古ぼけてくすんでいた。でも、色それが逆に素敵にも見えていた。だって、ほとんど毎年あげ続けたから、こんなふうに色あせてしまったのだもの。お兄ちゃんと昇平の健康と成長を願い続けて、おじいちゃんが毎年ポールを立てて、鯉をあげてくれたんだよね。
そのおじいちゃんも、そろそろポールを立てたり鯉をあげたりするのがしんどくなってきた様子。今年は、ポールを立てるのも倒すのも、お兄ちゃんや旦那が協力していた。たぶん、鯉のぼりをあげるのも、昇平が小学生のうちまでだろうと思う。あと2年だ。
子の成長は、親や祖父母の老いと同時に進行する。それでも、大人たちは子どもの成長を喜ぶ。
それが人間ってものかな・・・なんて、空っぽの鯉のぼりのポールを見上げながら考えた。

| | トラックバック (0)

2005年5月 6日 (金)

てくてく日記不定期化

今日から学校。(昇平は土日にまた連休になるけれど) なんとなく正常な生活に戻り始めて、ほっとしています。

今朝、昇平を学校に送った時の様子を、てくてく日記に更新しました。更新は水曜日と土曜日、と考えていたけれど、実際に生活していると、ネタはもっと頻繁に転がっています。それを日記に書く時間がとれるときと、とれない時はあるけれど、曜日が決まっていると、ちょっとそのあたりが書きにくいな~、というのが実感です。
書きためておいて、週に2回アップにしても良いのだけれど、そうすると、無駄になる記事も出てくるし。
というわけで、やっぱりてくてく日記はランダムに更新するのが良いのかもしれません。幸い、RSS機能がついたので、それを登録すれば、記事を更新した時にはお知らせが行くらしいし。
まあ、自分がやりやすい形で続けるのが、一番なんでしょうね。
ということで、てくてく日記はまた、タイトルの通り「不定期連載」に戻ります。また不規則になってしまうけど、お許しくださいませ。

| | トラックバック (0)

2005年5月 5日 (木)

いそがし いそがし

こどもの日です。なんか、いそがしい~。
ブログも更新したいんだけど、今はまだ書いてる暇がないのです。夕食の支度に行かなくては。今夜は手巻き寿司です。

今年のカレンダーはこどもの日の3日後が母の日。スーパーに行ってみたら、売り場は完璧、母の日の方に食われていました。旦那曰く「商品の単価が違う」
確かに、母の日のプレゼントの方が高いもんねぇ~・・・。

| | トラックバック (0)

2005年5月 4日 (水)

GWだというのに

今年のGWは本当に好天に恵まれています。毎日、穏やかに晴れた気持ちの良い日が続きます。
青空に誘われるように、遠出する車が道路にはいっぱい。でも、我が家は特にどこにも出かけていません。義母が退院してきたばかりで、家を長時間留守にするのが心配なのと、お兄ちゃんが私の実家に泊まりに行って不在なのが主な理由。あ、遠出したり泊まったりする金がない、ってのも大きいけれど。(爆)

それでも、せっかくの連休をどこにも行かないのはつまらないと思って、昨日は昇平に聞いてみました。「どこかにおでかけしようか? どこにいきたい?」 上天気だから、海か山にでもドライブに行くのもいいなぁ、と思っていました。
すると、昇平が答えました。「ゲーセンにいきたい! そして、お昼をマクド○ルドで食べたい!」
う~ん、せっかくのGWにゲーセンですか?
でも、こどもの日のイベント代わりに連れて行こうと考えていたから、昇平のリクエストに応えるのが筋というものかと考えて、旦那と3人でゲームセンターに出かけました。

さすがに、ゲーセンは普段の休日より人が少なかったようです。昇平は300円分くらいゲームをした後、とても上手なお兄さんを見つけて、そのわきの席でお兄さんがゲームを完全クリアするまで張り付きで眺めていました。45分くらいかかっていたでしょうか。その間、昇平はずっと観戦。結局、お金もあまりかからずにすんでしまいました。
昼食はハンバーガー、その後、旦那のリクエストで古本屋に回って、と、とても安上がりなイベントは終了しました。

家に帰ってきた時にも、空はあきれるほどの晴天。気持ちのいい風、気持ちのいい日差し。
こんな日にゲーセンやら古本屋やら回って帰ってくるだけの私たちって、いったい・・・。とは思ったけれど、昇平が満足したようだから、それで良しとしますか。

うーん。でも、海、見に行きたかったなぁ・・・・・・。

| | トラックバック (0)

2005年5月 3日 (火)

『フルートの冒険』その2

寝る前の『フルートの物語・3』の素語りが続いています。
文章を思い出しながら、話しことばに砕いて語っていくので、ものすごく下手くそな語りになっているのだけれど、昇平は興味津々で聞いてくれています。昨夜はクラーケンが海の中から登場したところで「続きはまた明日」となったのですが、電気を消してからも昇平が考え込むような顔をしていました。
「フルートたちがクラーケンに勝てるかどうか心配なの?」
と聞くと
「うん」。
作者冥利に尽きる反応だぁ~・・・!(爆)

ものを書く(描く)人間なんて、およそこんなものです。見た人から反応が返ってくるのが嬉しくて、「よし、また書くぞ(描くぞ)」という気持ちになる。ほんと単純です。
それにしても、この3作目を書いた時に、昇平がこんなふうに物語についてきていたら、このシリーズはどんなふうになっていたのかなぁ、と思います。もしかしたら、今でもまだ、対象年齢はもっと低かったんでしょうか。それを考えると、作品を書くということ自体が、一種の一期一会というか、その時その時の状況に大きく左右されるのだな、と思います。
でも、それがどんな作品になったとしても、私にとっては、かわいい子どもたちと同じなんですけどね。(笑)

| | トラックバック (0)

2005年5月 2日 (月)

桃が散りました

今日は義母の通院日なので、福島市内まで車を出しました。
道すがら、桃畑のわきをたくさん通りましたが、どこももうすっかり花が散ってしまっていました。このところ、本当に暖かい日が続いているし、風も強いですからね。
そのかわり、白いリンゴの花が満開でした。菜の花畑も一面黄色。葉の緑とのコントラストが美しかったです。携帯で素早く写真を撮ったんだけど、PCに送信しそこねて消失してしまった・・・かなしぃ。
新緑も本当にきれいです。これからますます緑が濃くなって、福島も次第に夏の装いになっていくのでしょうね。
福島市の夏は湿度が高くて暑いのだけれど(盆地だから)、でも、決して嫌いじゃないです。桃もリンゴも、この蒸し暑さの中でおいしくなっていくから。

| | トラックバック (0)

2005年5月 1日 (日)

てくてく日記番外編(笑)

そういえば、昨夜、ちょっとした騒動があった。

お風呂から上がって一足先に寝室に行っていた昇平が、突然バタン! とドアから飛び出して、私にしがみついてきたのだ。
「かかか・・・・・・!」
「か?」
「からいぃぃ~~~!!!」

はて、寝室に食べ物など置いていなかったはずだけれど、と思って、「何を食べたの?」と聞いてみると、昇平がヒーヒー言いながら答えた。
「トウガラシ」
はてはて、トウガラシなんか寝室に――

あった!
去年のクリスマスに作ったリースに飾り付けた、トウガラシ!!
部屋に行ってみると、ちぎられた赤いトウガラシが1本、床に落ちていた。種も飛び散っている。どうやら、種と赤い皮を口に入れて、なめてみたらしい。
・・・おバカ。
トウガラシはすごく辛いんだよ、と教え続けていたのに。
こういうところを見ると、やっぱりこいつはADHDだなぁ~、と思う。いくら言われても、いくら頭では分かっていても、実際に自分で試してみないではいられないんだから。
でも、辛い辛いと大騒ぎして走り回っている昇平を見ていたら、なんだか笑えてきてしまった。憎めないよね、本当に。

その後、水を大量にのみ、バナナを1本食べ、それでもまだ口が辛くて氷をなめながら寝た昇平。
予想通り、翌朝はしっかりおねしょをしていましたとさ。チャンチャン。

| | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »