2024年5月20日 (月)

牛乳でホイップクリーム

図書館でこんな本を借りました。

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『牛乳さえあれば ~ふわふわホイップもクリームチーズも。かんたんおいしいスイーツ55~』

小松友子(Bonちゃん先生)著/イカロス出版)

 

なんと、生クリームを使わずに牛乳でふわふわのホイップクリームを作れるといいます。

え、本当に? 美味しいの?

興味津々で借りて、さっそく作ってみました。

 

もちろん、牛乳だけで生クリームのように泡立つはずはなく、基本の牛乳ホイップにはゼラチンを使用します。(あと砂糖とバニラエッセンスも)

ただ、材料はこれだけ。

冷えて固まり始めたゼラチン入りの牛乳を泡立て器でホイップしていくのですが、このタイミングにコツがあるのですね。

作り方の通りにやってみたら……

 

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本当にできました!

生クリームのようなふわふわのホイップが!

レンジで作ったスポンジケーキにかけて、粒あんもトッピングして、和風ケーキのようにしていただきましたが、生クリームより口当たりが軽くて優しい味でした。

美味しい~。

 

250ccの牛乳で中くらいのボールいっぱいのクリームができあがるのですが、ゼラチンが入っているので、冷やせば固まっていきます。

そこで器に流し入れてトッピングもして、2種類のムースを作ってみました。

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フルーツムースは、グラスに流してミカンの缶詰とミントの葉を飾りました。

ミカン缶と牛乳ホイップのマリアージュが最高!

 

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和風ムースは、粒あんをグラスの底に入れて牛乳ホイップを流し入れ、砂糖入りの桑パウダーを抹茶代わりにたっぷりかけて、さらに粒あんをトッピングしました。

たまたま桑パウダーがあったので使いましたが、きなこでも美味しいと思います。

 

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ミカン缶が残ったので、別の日には「牛乳しっかりホイップクリーム」とネーミングされた濃いめのクリームで、フルーツサンドを作ってみました。

これもすごく美味しかった!

生クリームだとカロリーや脂肪分が気になりますが、これは元が普通の牛乳なので、罪悪感なく楽しめます。

 

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あまったホイップは、クッキーで挟んで冷凍庫で凍らせて、クッキーアイスサンドにしました。

懐かしいミルクアイスの味です。

 

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これはまた別の休日に作ったクリームボックス。

クリームボックスというのは、私の実家がある福島県郡山市のご当地パンで、柔らかい食パンにミルククリームをたっぷりのせたもの。

牛乳ホイップの優しい味がこれに近かったので、食パンにたっぷり塗って、ついでにまたミカン缶をのせました。(牛乳ホイップ+ミカン缶の相性は最高です!)

家族にも食べさせましたが、とても好評でした。

 

牛乳ホイップは時間がたつと固まってしまうので、ホイップとして保存しておくことはできません。

なので、余りはムースやアイスにします。

この日はチョコレートとココアを使ってチョコレートムースにしたのですが、うっかり写真を撮り忘れました。

これも簡単で美味しかったです。

 

基本の牛乳ホイップの作り方はYouTubeで公開されています。

https://www.youtube.com/watch?v=e-M7vvJotZc

 

ただ、『牛乳さえあれば』の本には牛乳ホイップを利用したスイーツのレシピがいろいろ載っているし、濃厚な「牛乳しっかりホイップクリーム」はYouTubeでは未公開なので、私は自分でも本を買いました。

これでいつでも作れます。

 

「家に生クリームの買い置きがなくても、食べたくなったときに、牛乳さえあればすぐ作れるホイップクリーム」

筆者はこれをコロナ禍で家から出られない時期に考えついたのだそうです。

生クリームの値段も上がっていますし、いつでも作って食べられるのはいいなぁ、と本当に思います。

ちなみに、この本には牛乳からクリームチーズを作るレシピも載っています。

こちらも今度やってみます♪

 

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~色とりどりの花が綺麗に咲く季節になりました~

 

 

 

 

 

2024年5月13日 (月)

先週の昇平・4~母の日に

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1カ月に1度の更新になってしまっていますが、先週の昇平のことを書きたいと思います。

先週というか、昨日の話。

昨日は5月第2日曜日、はい、母の日です。

夕食当番とも重なっていたので、昇平が夕食を作ってくれました。

 

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これが昇平作、母の日ディナー。

イタリアンミックスというオリジナル料理に、パン、サラダ、ごぼうスープというメニューでした。

 

イタリアンミックスは、実は作るのが2度目。

玉ねぎ、サラダチキン、ピーマン、マッシュルーム、フライドポテトを刻んで炒めて、スパイスを利かせたトマトソースで煮込んで、溶き卵とチーズをたっぷりかけてあります。

昇平が自分で考えたレシピですが、中東圏で食べられているシャクシュカという料理に近いんじゃないかな、と思います。

フライドポテトがたっぷり入っているのでボリューム満点。

パンに載せて食べるのも美味でした。

サラダは市販品、スープはインスタントです。

 

とても美味しかったのですが、本人としては理想が高かったようで、「思ったより柔らかく仕上がって歯ごたえが足りなかった。次はもっと材料を大きめに切って、辛さももっとアップしよう…」と言っていました。

そうやって繰り返し作っていくうちに、料理の腕も上がっていくし、自分の味ができていくんでしょうね。

 

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こちらは旦那が買ってくれたケーキのオペラ。

こちらも美味しかった。

 

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「ああ、美味しかった。ご馳走様」と部屋に行ったら、私の机の上にこれが置いてありました。

あらま~、プレゼントまで!

 

ダイ○ーで買ったのは一目瞭然ですが(笑)、ガーゼのハンカチに携帯できる櫛の組み合わせとは、なかなか考えてくれた内容。

今年の母の日は、彼が自分でいろいろ考えて準備してくれて、食事のときにも自分から「お母さん、いつもありがとうございます」と言ってくれて、「こんなに母の日らしい母の日は久しぶり!」と私は感激してしまったのでした。

どう表現したら伝わるのかわからないのですが、とても「まとまりがある」母の日で、それだけ昇平が大人になったのだな、と実感しました。

 

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茶の間にはカーネーションが飾ってあります。

こちらは亡くなった母たちへ旦那が購入したもの。

母の日は、生きている母にも亡くなった母にも感謝をする日。

お母さん、私たちを生んで育ててくれて、ありがとうございます──。

 

2024年4月 2日 (火)

先週の昇平・3

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本当は昨日の月曜日に書きたかったのですが、年度初め・月初めの4月1日に週初めの月曜日が重なって忙しくて、今日の更新になりました。

「先週の昇平」のタイトルでは1ヶ月半ぶりですが、その間に季節も進んで、狭い我が家のベランダも花盛りになっています。

 

さて、週に一度の昇平の夕食当番は今も続いています。

先々週の夕食はこちら。

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生姜たっぷりの炊き込みご飯に、お吸い物、アジフライ、茹で青菜。

お吸い物はインスタント、アジフライはスーパーの惣菜売り場で買ったもの、茹で青菜は母の作り置き。

前の週にご飯の友に買った刻み生姜の瓶詰めで「生姜たっぷりの炊き込みご飯を作りたい」と言うので、ご飯だけ手作りです。

 

普段のご飯はそれでいいのですよね。

一品手作りしたら上等。

あとは出来合いを買ったり、インスタントや冷凍のものを使ったりして、献立を整えればいいんです。

 

混ぜご飯も、生姜の瓶詰めをご飯に混ぜ込めば良さそうだったのですが、それだけは自分で工夫したかったらしく、刻み生姜を増し増しにして、焼豚や刻みネギも加えて、ごま油をひとたらし。

ピリ辛だけどとても美味しかったです。

 

先週の夕食はこちら。

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「肉を焼きたい。それも豚と牛を」と言っていたので、高くつきそうだな~、と思っていたら、ちょうど前日の売れ残りが半額になった焼き肉セットをスーパーで発見!

豚肉と牛肉の両方が入っていました。ラッキー♪

 

昇平は肉によって味を変えたかったようで、豚切り身は生姜焼きに、豚肩ロースはハーブ塩味に、牛ハラミは塩こしょう味に。

お得でおいしい焼き肉になりました。

サラダは袋詰めのカットサラダ、卵スープはインスタント、茹で青菜は今回も私が作り置きしておいたものです。

 

調理そのものや献立を整えることにはだいぶ慣れてきたので、「今度は予算を決めて、予算内の買物で夕食を作れるようになってみよう」という話になっています。

2024年3月19日 (火)

「アレグレット」の独立と最近の親の変化

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この4月から「アレグレット」が発達障害支援の会『福島とーます!』から独立します。

経緯はとても複雑なのですが、簡単に言うと、『福島とーます!』の伊達支部だったアレグレットが、伊達市に拠点を置く親の会として正式に独立する──ということになると思います。

 

これまでも勘違いされる方が時々いらっしゃったようですが、『福島とーます!』は私が立ち上げた会ではありません。

立上げは今から23年前の2001年。

会の代表を経て現在は顧問のYさんから、「今度福島県にADHDの会を立ち上げるんだけど、朝倉さんもまざらない?」と声をかけてもらったのでした。

 

私は複数いる役員のひとりで、役職は広報。

ニュースレターを発行したり公式ブログを更新したりするのが、私の仕事でした。

2004年1月に家族会員の支部制が始まってからは、伊達支部「アレグレット」の支部長も務めました。

 

そんなわけで、今後私は『福島とーます!』からは抜けて「アレグレット」のほうに関わっていきます。

『福島とーます!』のほうは、今後は会員制をとらずに、福島県から情報を発信したり、学習会や講演会をコーディネートしたりする、新しい活動スタイルに転向する計画だそうです。

 

というところで、何故こんなふうに会が分かれることになったのか、ということなのですが……

最近の発達障がいを取り巻く状況に変化が生じていることが深く関係しているので、その報告も兼ねて書いてみたいと思います。

少し長い話になりますが、よければお付き合いください。

 

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23年前、『福島とーます!』(以下『とーます!』)が立ち上がった頃、日本中では発達障害への関心が非常に高まっていました。

知的障害の存在は昔からよく知られていましたが、知的に遅れがないのに発達のアンバランスから困難を引き起こす発達障害は、それ以前には、ほとんど知られていませんでした。

「普通に見えるのに障害がある!? ADHD!? 高機能自閉症!? 広汎性発達障害!? それっていったいどういうもの!?」

新しい障害の概念に、医者や心理士、療法士といった専門家だけでなく、保健師や、学校や幼稚園や保育園の先生、我が子の発達状態に不安や疑問を抱えていた親たちまでが、こぞって学び、実践し、研究を深めていきました。

今では日本中どこでも発達障害ということばがおおむね通じて、特別支援教室や通級、放課後デイサービスなども当たり前のように存在していますが、それは二十数年間の、本当に大勢の人たちの努力と働きかけの上に築き上げられたものなのです。

 

ところが、福祉サービスが充実してくると、それに反比例するように、子どもへの親の関わりが減ってきました。

政府の働き方改革の方針に基づいて、女性が生涯職場で働き続けられるようになり、大半の家庭が夫婦共働きになったことも、その一因だろうと思います。

私たちが現役で子育てをしていた頃は、子育てのために職場を辞める女性はけっこういました。

障害がある我が子のために親、特に母親が仕事を諦める、ということもざらでした。

 

かくいう私も、家庭で息子の世話をできる人がいなかったので、パートを諦め、学習塾でのアルバイトも辞めて完全な専業主婦になりました。

放課後デイサービスがまだなかった時代です。

児童館に預けても周りの子たちとトラブルになるので、受け入れてくれる児童クラブを探し、頭を下げまくってやっと受け入れてもらったこともあります。

それも小学校3年生で終了で、今のように義務教育終了まで利用することはできませんでした。

頼みに頼み、拝みに拝み倒して、息子は小学4年生まで利用させていただきましたが……。

 

母親が自分を犠牲にしてまで子どもの療育に関わった、素晴らしい親の愛の時代だ、なんて自分たちの子育てを美談化するつもりはまったくありません。

今の親たちの愛情が昔より薄れているとも、絶対に思いません。

あの頃に今のような福祉サービスがあったら、私だって間違いなく利用して働き続けていたはずです。

 

ただ、親が共働きでいれば、どうしたって子どものために使う時間は限られてしまいます。

休みだって簡単には取れないし、せっかく休みを取っても用事が入ったりで、予定していたことができないこともあるでしょう。

私たちの頃も親は忙しかったけれど、今の親たちはもっと多忙です。

 

さらに、社会での活動や交流は平日の勤務中にすることであり、休日は家族や個人が自分たちの楽しみと休養のために使う時間、という価値観の変化も起きています。

コロナ禍の自粛で社会的な活動が制限されてから、その変化はいっそう大きくなった気がします。

 

その状況で、親はどのくらい子どものために時間を割くことができるか。

親たちが昔のようには療育に熱心になれなかったり、親の会の活動に参加できなくなったりするのも、当然と言えば当然の変化なのかもしれません。

いえ、それは発達障害がある子どもたちの親に限らないのでしょう。

最近では、学校のPTA活動も役員を引き受ける親がいなくなって、成り立たなくなってきたと聞いていますので……。

 

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話を『とーます!』と「アレグレット」に戻します。

『とーます!』でもこのところ、会員の減少が著しくて、これまでのような活動を続けていくのが難しくなっていました。

素晴らしい先生方を講師に招いてペアレント・トレーニングの学習会を開催してきたし、コロナ禍にはオンラインで学習会を続けてきたけれど、問い合わせはごくごくわずか。

子どもが成長すれば会から抜ける親が出てくるのは、昔からのことですが、そこに新しい親が入ってこないのですから、会員数は自然と減少していってしまいます。

会のメンバーの高齢化も進んでいきます。

この現象は『とーます!』に限らず、全国の親の会に共通して起きていることです。

 

これからの会の活動をどうしていくのが良いのか。

ここ何年も、折に触れては役員や会員同士で相談してきました。

 

それでも、地域に密着した「アレグレット」だけは一定の活動を続けることができていました。

地元の情報はその地域に住んでいる人しかわからないことで、いくらネットを検索しても思うようには見つからないものです。

子育ての先輩お母さんたちから経験談を聞けるのも、実際に集まって話す例会だからこそできることです。

コロナ禍になって制限されましたが、それ以前は、お泊まり会や食事会や調理実習などの親子活動や、お花見や暑気払いといった親同士の懇親会も、定期的に開催してきました。

 

数年前、伊達市の自立支援協議会子ども部会に親の会のグループも設立されたので、そこに加わって伊達市の福祉の現状を知ったり、こちらの希望要望を伊達市に伝えたりもしています。

令和5年に伊達市に特別支援学校が新設されたのですが、それは上記の親の会グループの前身が支援学校誘致の署名活動を行った成果でした。

署名を提出してすぐに学校ができたわけではないのですが、福島県で「新しく支援学校を3校増設する」と決まったとき、「以前から要望が出ていたし、たくさんの署名も集まっているから」と、伊達市が真っ先に候補地になり、一番最初に支援学校が開設されたと聞いています。

 

こういう地域の活動は、親の会としてまとまっているからこそできることです。

親の生活環境の変化や価値観の変化で、親の会という地域活動から遠ざかるのは、自然な流れなのかもしれないのですが、その結果、将来困ってしまわないだろうか、と私は心配しています。

親として行政や社会に「ああしてほしい」「こうするともっと良くなる」と感じることがあっても、それが1人2人の意見では、行政は動いてはくれません。

数でまとまる必要が必ず出てくるし、その時に賛同してくれる人を集めるのは、かなり大変なことになるでしょう。

普段から集まって話し合っていれば、「やっぱりみんなそのことで困ってるよね」「よし、それじゃ署名を集めて行政に陳情しよう」「私は自分の親や兄弟に署名を頼んでみる」「じゃあ、私はわかってくれそうな友だちに頼んでみるね」と、トントン拍子で進むのですが……。

 

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今は学校でも放課後デイサービスでも、かなりの支援を受けることができる子どもたちですが、今後社会に出る年齢になってくると、支援は減り始めます。

就労を考えようとすると、なおさら支援が減っていきます。

障害者の雇用が奨励されていますが、発達障害や知的障害がある子どもたちの就労は、就職先がなかなか見つからなかったり、就職しても続かなかったりして、かなり厳しいのが現状です。

その先の、親亡き後のことを考えると、もっと不安は増します。

今、地域や社会全体に対して動き出さなければ、子どもがその年齢になったときに間に合わないかもしれないのです。

 

また、我が子がひとりになったときに困らないように、親として家庭で教えていかなくてはいけないことや、育てていかなくてはいけないことも、たくさんあります。

お金の使い方、掃除、洗濯、料理、その他生活して生きていくために必要な様々なこと。

 

私は今、息子に週1回夕食当番をやってもらっています。

特別な料理ではなく、仕事で疲れて帰ってきても作って食べられるような、簡単で栄養のある料理です。

一昨日はご飯を炊いて、キャベツとサラダチキンで野菜炒めを作って、ネギと干し椎茸で味噌汁を作って、あとは温泉卵と海苔の佃煮や鮭フレークなどの「ご飯の友」を並べたメニューでした。

 

将来、親がいなくなっても、自分でご飯を作って食べて生きていけるように。

それもあまりお金をかけずに、でもちゃんと栄養が摂れるように。

これは学校などでは教えられないことだと思っています。

こんな体験も、親の会の例会で雑談のように情報交換しています。

 

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子どもへの親の愛情は昔も今も変わっていないと思います。

ただ、親と子を取り巻く状況が急激に変わってきました。

地域を越えた社会全体への呼びかけや働きかけも必要になってきています。

それは新生『とーます!』にお任せしたいと思います。

インターネットなどを駆使して、きっと様々な企画を進めてくれることでしょう。

 

私たち「アレグレット」は伊達市に拠点を置いて、相双を含む県北地方に地域密着しながら、親同士の交流や情報交換、少人数での学習会や親子活動、自治体との連携などを行っていこうと思います。

活動する場所が違うので、『とーます!』からは独立という形になりますが、目指すところは同じなので、今後一緒に活動をする機会もあるのでは、と思っています。

 

いずれにしても、4月から『とーます!』も「アレグレット」も新しいスタートです。

私はアレグレットの共同代表のひとりになります。

いえ、これまでもそういう位置づけにはいましたが、改めてそうなります。

 

どうか、半歩でも一歩でも前へ進む力になれますように。

我が子たちとこれからの子どもたちの幸せな未来のために、心からそう願っています。

 

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おわり

2024年3月11日 (月)

13年目の3月11日に

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今年も3月11日がやってきました。

あれから13年が過ぎて、東日本大震災の記憶がまったくなかったり、幼すぎて記憶がおぼろだったりする方が増えてきたようです。

でも、今年の元旦に能登半島を大地震が襲ったように、日本列島に住んでいる限り、いつなんどき巨大な地震に襲われるかわかりません。

だから、今一度あのときを思い出して、あらためて備えをしたい──してほしい──と思っています。

 

上の写真は地震の直後に長男が撮った私たちの部屋です。

耐震基準が新しくなる1981年以前に建てられた戸建て住宅に三世代で暮らしていて、私たち夫婦と子どもたちは主に2階の6畳二間で生活していました。

伊達市は震度6弱でしたが、地盤や2階だったことが関係したのか、揺れは本当に激しくて、部屋の入り口の扉は飛んで外れたし、洋服ダンスもパソコンも書類も本もなにもかも、倒れてひっくり返って、部屋は足の踏み場もなくなりました。

 

上の写真は、これでも長男がちょっとだけ片付けてくれた後です。

この後、人が過ごせるくらい部屋が片付くまでに、かなり長い時間がかかりました。

私の携帯は机の上に置き忘れていたので、タンスの向こう側で埋もれてしまって、この状況を撮影することができませんでした。

 

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「君は東日本大震災をどんなふうに覚えている?」と今朝、昇平に聞いてみました。

あの日の午前中、彼は中学校を卒業したのでした。

学校から帰って昼食を食べた後、彼はひとりで2階の部屋にいました。

 

「あの日は2階でパソコンを見ていたら急にものすごく揺れたんだ。

だから急いで(1階の茶の間に)逃げたけど、すごく怖かったし、その後もすごくつらかった。

でも、お母さんたちが頑張ってるのを見て、自分も頑張ろうと思ったんだ。

考えてみたら、あのときから私は人間が変わったのかもしれないな」

 

不登校寸前だった苦しい中学時代がやっと終わって、親子でホッとしていたところにやってきた未曾有の大震災。

「世界はなんて残酷なんだろう」と私も思ったのですが。

 

確かに、あのときから昇平は変わりました。

自分の人生を自分から諦めなくなった──そんな感じ。

今では、自分にできることを責任持ってやり遂げるようになって、就労支援事業所の研修先でもあてにされるようになっています。

確かに、あのときが昇平のターニングポイントだったのでしょう。

 

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上の写真は、震災から20日目に初めて外食をした「ビッグボーイ」の限定ランチメニューです。

これだけしかメニューがなかったし、サラダバーもドリンクバーもなし。

ソースはオニオンとデミグラスと照り焼きのみ。

ハンバーグを頼んだら、ついてきたのは冷凍のブロッコリーとコーンが少しという状態。

 

それでも、久しぶりの外食は本当においしく感じられたし、店内は家族連れでいっぱいでした。

隣接する書店も、天井はまだはがれ落ちているところがあったり、すごい状況だったけれど、やっぱりお客さんでいっぱい。

3週間経っても復興はまだ半ばだったけれど、それでも伊達市や福島市の人々は、楽しみや娯楽を求め始めていました。

建物を直したりインフラを復旧させたりすることも、もちろん大切なのですが。

「被災する前にやっていたことがまたできるようになる」ということも、心の復興のためにはとても重要なのだ、と実感した瞬間でした。

 

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「こう言ったらひんしゅく買うかもしれないけど……震災のときのご飯はおいしかったな」と昇平が付け足すように言いました。

あら、それは嬉しい!

 

能登地震の被災地ほどではないけれど、あのときは我が家でも停電が3日、断水が1週間、その後もガソリン不足や物資不足が続いて、食事の支度も思うようにはできませんでした。

でも、そんなときだからこそ、私は毎日のご飯においしいものを食べてほしくて、家にあった食材とわずかに入ってくる食料で、毎日「ああでもない、こうでもない」とメニューを考えて作っていました。

おいしいものは人を元気にすると信じていたので。

 

上の写真は我が家の非常持ち出し袋の非常食と買い置きしてある食料品のストックです。

毎年3月11日が近づいてきたら、賞味期限をチェックして、期限切れが近いものは食べて、新しいのを買い足すようにしています。

 

これ以外にも防災ボトルを作って、バッグに入れました。

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最初はあれもこれもと詰め込んだけど、重くて持ち歩くのが大変なので、これだけに絞り込みました。

ミニライト、ホイッスル、紙石けん、圧縮タオル、一口羊羹、飴、小銭、チャック袋が入れてあります。

 

どんなに備えても、災害に人間は勝つことができませんが、できる限りの備えをしておけば、被害を少しは減らせるかもしれません。

打ちのめされた心を早く立て直せるかもしれません。

そんなことを思うので、今年も私は3月11日を特別な日として過ごしています。

 

14時46分にはラジオに合わせて黙祷も捧げました──。

 

終わり

2024年2月27日 (火)

長男の帰省と飯坂温泉

 

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また更新が1ヶ月以上開いてしまいました。

その間にもいろいろなことをしていたのですが、中でも我が家的に一番大きかったのは、2月半ばに長男が遅い正月休みを取って帰省したこと。

上は家族揃って昼ご飯を食べている写真です。

向かって左にいるのが長男。

反対側の手前が旦那様、奥にいるのが昇平です。

昇平は「いただきます」と手を合わせています。

 

長男は東京のビジネスホテルでフロント業務をしているので、年末年始はかき入れ時。

その後はスタッフ同士で調整しながら正月休みを取って、長男は2月半ばに3泊4日の帰省ができたのでした。

前回彼が帰省したときには、家族が次々とコロナにダウンしていたときで、「うつっては大変!」と一泊しただけで帰してしまったし、それ以前はコロナの外出制限でなかなか帰省ができなかったので、本当に久しぶりのまともな帰省でした。

 

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せっかくなので家族で日帰り温泉にいきました。

福島市の飯坂温泉には、ホテル聚楽が経営している「花ももの湯」という日帰り温泉施設があって、源泉掛け流しの温泉とレストランでのバイキングを楽しむことができます。

 

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のれんをくぐって

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雰囲気の良い通路を通って施設に入ると…

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ロビーで温泉むすめの「飯坂真尋(いいざか まひろ)ちゃん」がお出迎え。

 

写真には撮れませんでしたが、週末だったこともあってお客さんはたくさん。

親子連れも多くて賑やかでした。

 

私たちものんびり温泉に入り、ディナーバイキングを楽しみました。

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お寿司にピザにサラダにスモークハムにチーズに天ぷらに角煮の挟まった中華バーガー……

 

私は日本酒もいただきました。

長男はビール、昇平はアルコールは飲まないのでコーラや烏龍茶を飲んでいました。

旦那様は運転手なのでアルコールはNG。

とはいえ、旦那様もアルコールは苦手な人なので飲めなくても全然平気。むしろ嬉しいらしいです。

 

長男は実家で4日間上げ膳据え膳でのんびり過ごし、「帰りたくねぇな~」とぼやきながら関東のアパートに戻っていきました。

 

…………

おまけ

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福島駅から飯坂温泉に行くには、飯坂線の電車が便利です。

福島駅の次の曽根田駅(そねだえき)には、私のお気に入りのカフェ「伏見珈琲店」があります。

後日、伏見珈琲店に行って窓際の席に座ったら、駅のホームに通じるデッキに本物の桃の花が。

インテリアとマッチして素敵だったので、思わず撮影してしまいました。

 

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ここでいただいたカヌレとコーヒーも美味しかったです♪

 

2024年1月15日 (月)

先週の昇平・2

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月曜日に不定期に書く「先週の昇平」。

1か月ぶり2回目の更新です。

 

先月は風邪から副鼻腔炎(蓄膿症)になってしまって、耳鼻科に連れていかなくては……と書いたのですが。

その後、本当に耳鼻科へ行き、出してもらった薬をきちんと飲んで、2回の通院でほぼ完治しました。

罹る前と比べると、まだ少し鼻水が出るようですが、症状がちょっとだけ残ってしまったのか、本人が「もう罹りたくない」と考えて、まめに鼻をかむようになっただけなのか、ちょっとよくわかりません。

とにかく酷くなる前に治ったようなので、良かったです。

 

・・・・・・・・・・・・

 

週1回の夕食当番もまだ続いています。

冒頭の写真は、昨日の日曜日に昇平が夕食を作ったときの材料。

サラダと味噌汁を作るというので、あれこれ揃えています。

 

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サラダは材料を一生懸命刻んで、ドレッシングも手作り。

味噌汁は昆布と削り節と干し椎茸で出汁(だし)からしっかり取って作っていました。

惣菜はスーパーで購入しましたが、1時間余り奮闘していました。

努力の成果をスマホで記録。

 

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これが彼の撮った写真。

生ハム入りシーザーサラダと、ネギと油揚げの味噌汁でした。

周りの肉やカツはスーパーの惣菜コーナーで購入したもの。

でも、それでいいんです。

野菜サラダと具だくさんの味噌汁さえ作れたら(あとご飯が炊けたら)、出来合いの惣菜を添えただけでバランスばっちりな夕食になりますから。

 

次の夕食当番は今度の水曜日の予定。

肉を焼いて、野菜のソテーを添えたいのだそうです。

 

 

 

2024年1月 9日 (火)

あけまして「おせち」です

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令和6年明けましておめでとうございます。

元日から大変な災害や事故が続いて、気持ちがざわざわしていましたが、落ち着くためにも、身近な日常のことを書くことにしました。

今年のお正月は「おせち」を手作りしました! 

上の写真がそれです。(えっへん)

 

と偉そうなことを書きましたが、実際には手作りしたのは全体の半分くらいでした。

残り半分は市販品を買ってお重に詰めただけです。

でも、主婦歴○十年になるけれど、おせちを手作りしたのは今年が初めて。

旦那がずっとスーパーマーケット勤務でしたからね。

販売ノルマがあるので、毎年おせちはスーパーから買っていたんです。

 

でも、その旦那も転職して、おせちのノルマはなくなったので、「今回は自分たちが好きな料理をいっぱい詰めたおせちを手作りしてみよう!」と思い立ったのでした。

 

1ヶ月くらい前から中に詰めるものを考え始めて、ああでもないこうでもない、内容の組み合わせや家族の好み、私の手間なども考えて、買い物する食材を書き出し、チラシをまめにチェックして食材が安いときにすかさず買いに行き……。

初めてだったので、教科書通りのやり方でした。

 

お重はダ○ソーで購入しました。

さすがに100円ではなかったけれど、しっかりしてるので、来年も使えそうです。

正月柄の紙カップもダ○ソーで購入。

お重に詰めるには、あらかじめ設計図を描いてからの方が良い、と料理のプロが言っていたので、そのとおりにしました。

我ながら真面目にがんばったなぁ。(笑)

 

実際のおせちは下の通りです。

 

一の重

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上から

紅白蒲鉾、青ばた豆、伊達巻き、

しめさばの柚子釜、黒豆、柚子大根

棒鱈(ぼうたら)の煮付け、栗きんとん、一口昆布巻

 

このうち、手作りしたのは柚子大根と棒鱈だけです。

棒鱈の煮付けは家族の大好物。

奥会津に旅行に行ったとき、旅館の夕食に出てきたのを家族全員が大喜びで食べていたので、「あ、みんな好きなんだ」と初めて知りました。

私は会津で暮らしたことがあったから、棒鱈も割と身近だったんですが、旦那様や息子たちには新鮮な味だったようです。

石のように硬い棒鱈を一晩水につけて戻して、お茶パックを使って下茹でして臭みをとってから、圧力鍋で煮て、さらに調味料を加えて煮込んで……と、けっこう手間がかかってます。

 

柚子大根は私が好きで作りました。

実家の父が健在だったときには、父が大根の柚子巻きを手作りしていましたが、私は簡単に切って甘酢に漬け込んだだけ。

しめさばは市販品ですが、切って柚子の釜に詰めたのは私です。

 

二の重

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上から

キャロットラペ、テリーヌ、にら焼餅、中華クラゲ

ゆで卵入りミートローフ、豚角煮

 

二の重には洋風メニューと中華風メニューを詰め合わせました。

一の重と違って、こちらは手作り多め。

テリーヌとニラ焼餅と中華クラゲ以外は手作りです。

我が家の家族は海老やカニをあまり喜ばないので、ミートローフをドンと入れてボリュームを出してみました。

豚角煮も圧力鍋で煮ましたが、市販のおせちだとすぐなくなる角煮がたっぷり食べられるので、息子には大好評でした。

 

三の重

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上から

カイワレの生ハム巻き、ぶりの照り焼き

筑前煮

 

正月前に旦那に「おせちに何を入れてほしい?」と聞いたら、「ぶりと筑前煮!」と答えたので、これは旦那のリクエストに応えたお重です。

ぶりは天然ぶりだったので養殖物ほど脂がのっていませんが、衣をつけて鍋照り焼きにしたので、柔らかく美味しくできました。

筑前煮の花梅と飾りレンコンは、ネットで作り方を調べました。

今はいろんなことをネットですぐ知ることができるので、本当に便利です。

 

改めて数えてみたら、全部で18品目。

そのうち手作りは9品目だったので、ちょうど半分手作りしたことになります。

 

このほかに、元日には餅も食べました。

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我が家は元日の朝にはあんこ餅とお雑煮を食べます。

あんこはなんと言ってもこしあん。

雑煮は、大根、人参、染み豆腐、椎茸、鶏胸肉、芹(せり)、餅の7種を入れるのが我が家流。

醤油仕立てで、餅は焼いた角餅です。

実家のお雑煮もこれによく似ていましたが、肉は鶏もも肉、吸い口は三つ葉でした。

このあたりは、芹を使うお宅と三つ葉を使うお宅があるようです。

 

筑前煮を食べたら、亡くなった母の味がしました。

何も考えずに作ったんですが、ちゃんと味を引き継いでいたんだなぁ、と嬉しくなりました。

お雑煮は同居していた義母が残していった味でした。

料理だけでなく、お正月の過ごし方そのものにも、前の代から引き継いだことがいろいろあります。

こんなふうにして伝統や習慣が受け継がれていくのですね。

 

おまけ

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玄関もお正月バージョンにしました。

赤いファブリックパネルは、アートさをりさんから購入した「さをり織り」。

張り子のケルベコスの横に小さい鏡餅を飾り、南天の枝も飾りました。

どうか今年が福のたくさんある良い年になりますように。

 

2023年12月11日 (月)

先週の昇平・1

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ブログを新しくしてから昇平のことを書く機会が減ってしまったので、これから月曜日にときどき昇平の様子を書くことにします。

 

先週の昇平はちょっと風邪気味でした。

今まではめったに風邪をひかない丈夫な人だったのに、9月にコロナになってからは、10月に風邪をひき、今月もまた風邪をひきました。

コロナの影響で免疫力が下がっているのかな。

それとも、このところの気温の変化が激しすぎるからかしら。

 

仕事を休むほどではないのだけれど、とにかく鼻水がすごい!

いくら鼻をかんでも、またすぐに鼻水が出る。

ティッシュボックスはあっという間に空になるし、ゴミ箱はティッシュで満杯。

そして、その鼻汁が黄色いと言うから、副鼻腔炎(蓄膿症)を起こしているようです。

 

10月のときにはクリニックの内科で処方してもらった薬で落ち着いたけれど、今回もまた同じ症状になったから、今度はきちんと耳鼻咽喉科に連れて行こうと思います。

これを繰り返すと慢性化してしまうし、慢性の蓄膿症のつらさは私自身がとてもよくわかっているので。

(薬では良くならなくて中学2年生の時に手術をしました。あの頃の手術は本当に大変だった……)

 

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上の写真は、先週の水曜日の夕食当番で昇平が作ったカレーライス。

角切りの牛肉やマッシュルームがごろっと入って、私が作るカレーより豪華でした。

 

2023年12月 5日 (火)

双葉旅館忘年会2023

Futabaryokan

先週末の12月2日、親の会の学習会の後で、顧問の先生と親たちとで飯坂温泉の双葉旅館で忘年会をしました。

この新しい「てくてく日記」になってからは初めての紹介になりますが、コロナ禍に入るまでは毎年ここで忘年会を開いていたので、4年ぶりの再開でした。

わ~、久しぶり~!

あんまり嬉しくて、旅館の写真を撮り忘れたので、4年前に撮った写真を上げておきます(笑)

 

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コロナ禍の間に内装をリフォームしたのでしょう。

客室の壁や天井が綺麗になっていました。

 

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部屋に準備されたお茶請けは栗の渋皮煮。

野菜ソムリエの資格も持つ女将さんの手作りです。

ふっくら柔らかくて美味しい。

 

午後6時に宴会が始まりました。

私たちは発達障害の子どもを持つ親の集まりなので、プライバシーの関係で顔出しができません。

なので、双葉旅館自慢の料理の写真を上げていきます。

 

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鍋物はすき焼き。牛肉はたぶん福島産。ゴボウやネギ、キノコ、春菊と野菜もいっぱい。

 

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手前向かって左から、

山菜とキノコの煮物。らっきょうと長芋とキュウリの漬物。長芋とキュウリの梅肉のせ。

生卵(すき焼き用)。柿の白和え。ごま豆腐。

菊の酢の物。蒸し牡蠣のポン酢ジュレ。ロースト・エゾジカ(!)

 

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写真の右の方に見える足付きの白いカップには、食前酒のカリン酒が入っていました。(飲んだ後なので空)

焼き物は、カレイの一夜干し。

写ってないですが、冷凍したサクランボの塩漬け(?)が添えてありました。

これらの料理はすべて女将さんの手作りです。

 

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双葉旅館は地酒も自慢。

日本酒ソムリエの資格を持つ女将さんに、いつもお勧めを出してもらって、みんなでシェアして楽しみます。

今年出してもらったのは──

 

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「會津宮泉」熟成純米吟醸秋あがり。

宮泉さんは会津若松市内の酒蔵です。

火入れ1回の秋上がりは、すっきり辛口で料理にもぴったりでした。

あ、手前のお皿に冷凍サクランボが見えますね。

 

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次に出してもらったのは、大木大吉本店の「楽器正宗」本醸造別撰中取り。

ここは西白河郡矢吹町の酒蔵さんで、プロに喜ばれる料理酒を造ることでも有名です。

発泡酒のような甘い味わいで、まるで日本酒のシャンパンを飲んでいるようでした。

宮泉とは個性が全く違っていて、こちらも美味しいお酒でした。

福島県、今年の日本酒鑑評会で10年連続最多金賞を逃してしまったけれど、やっぱり美味しいお酒がたくさんあります。

 

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お作りはマグロ、ホタテ、シマアジ。

どれもプリプリで美味しかったですが、特にホタテが甘くて美味しかったです。

 

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「食べたね~」「もうおなかいっぱいになってきたね~」

と言っているところに運ばれてきたのは、なんと

松茸ごはんと松茸の土瓶蒸し!!!

 

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土瓶蒸しの中には松茸だけでなく、ハモや蒲鉾、ぎんなんなどの具材がたっぷり。

うわ~、いい香り! 美味しい!

おなかいっぱいのはずなのに、みんな食べています。

松茸ごはんに松茸土瓶蒸しのスープをかけて、お茶漬けにして食べるのも美味しかったです。

なんて贅沢なお茶漬けでしょう!(笑)

 

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双葉旅館の冬のデザートは、やっぱり焼きリンゴのバニラアイス添え。

熱々のリンゴに冷たいアイスが本当によく合います。

 

みんなおなかがいっぱいだったので、部屋に戻ってからはしばらくおしゃべりして、少しおなかが落ち着いてから温泉に入りました。

今回は温泉の写真はありませんが、ひなびた雰囲気の2つの大浴場とヒノキの寝湯や露天風呂があります。

大浴場は私たちだけだったので、お風呂でも部屋でも喉が痛くなるくらいたくさんしゃべって笑って、本当に楽しい夜でした。

 

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さて、双葉旅館のもう一つの名物は豪華な朝食です。

一人分がこれ↓

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これが朝食ですよ。すごいでしょう?

ご飯は一人分ずつ釜で炊いてあって、今年は栗ごはんでした。

アジの干物も、飯坂名物のラジウム卵(温泉卵)もあります。

 

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サラダにかけてあるのは、手作りの人参ドレッシング。

温泉で低温調理した温泉ポークも載っています。

 

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煮物。大根や里芋がふっくら煮えていました。

 

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カボチャのスープと、デザートの自家製ヨーグルト。

ヨーグルトにかけてあるのは、たぶん桃のピューレです。

以前、てっきり桃だと思ったらリンゴジャムだったことがあるので、今いち自信がありませんが。(苦笑)

 

N先生、「これはうちの朝ご飯の3回分だね」と感心していました。

いつものことですが、本当にすごいボリュームです。

そして、前の日にあれだけ食べているのに、朝食もけっこう食べられてしまうのが、本当に不思議。

野菜がたっぷりで、揚げ物や油をたくさん使った料理がない、体に優しいメニューだからなのだろうと思います。

 

その後も10時のチェックアウトまで部屋でおしゃべりしました。

私たちはちょっと特殊な子育てをしているので、同じ立場で話ができる機会があまりありません。

だから、こういう、ゆっくりしゃべれる環境はとても貴重です。

「楽しかったね-」

「来年もまたここで忘年会をやりたいね」

と言いながら宿を後にしました。

 

そして。

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帰りがけに旅館から、福島の新米1Kgをお土産にいただきました。

なんとこれは嬉しい!!

 

最初から最後まで、美味しくて楽しくて、たっぷりサービスしてもらえて。

4年ぶりの忘年会は最高でした。

来年もまた実施できますように……!

 

 

 

 

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